会話の質
2020年10月29日
Home »
わたしは、どんな人にでも必要とされている自由と解放を分かち合うような対話をしているのだろうか。謙虚な人は、真理と愛の神の言葉にとどまり続ける。そこで、その人は、神の言葉に聞くので、聞いた言葉をもって隣人の所へ遣わされるのである。その時に、その人は、自分のためには何も求めず、また何をも恐れないで、隣人が、自由と解放という喜びに満たされるように、本当の意味での助けの手を差し伸べることができるのである。
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。 内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです」(ローマ2:28~29)。