わたしが願う一つのこと。わたしの魂が深いところから求めている一つのことは何だろう?きっとそれは、日常の忙しさや多くの悩み事に隠れてしまっていて、すぐ気づくことは難しいかもしれない。主の弟子たちは、悔い改めてイエス・キリストの名によって洗礼を受けること(使徒2:38)と述べている。わたし自身は何と述べられるのだろう?今日はそれを探す旅に出かけよう。
「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを」(詩編27:4)。