内なる力
2021年1月14日
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大きな試練に出遭ったことのある人は、新しいことを始めても上手くいかないかもという恐れを持つ場合がある。試練の中で深いことを学ぶより、その試練が自分の思いを覆してしまった嫌なこととして受け止めるとき、神が自分を嫌い罰していて、次も味方になってくれないだろうという恐れを持っているのである。しかし、神は人を罰したりはなさらなければ、恐れや苦悩、嘆きをもたらすような働きはなおさらなさらない。むしろ、不条理な試練の中を生きる人々の苦悩をいっしょに担って歩いてくださる。さらには、私たちが他者の試練を担う者として生きるように、大いなる交わりへ招いてくださる。神は、戦争も地震も暴力も病気も望まない。神は潔白な方で単純で純真な方である。
「あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう」(2コリント10:8)。