証人
2021年3月22日
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子どもの成長ぶりは親にとって喜びそのものです。一つ一つのことができるようになると、天才かもしれないと錯覚をするほど、わが子の成長から生きる喜びをいただくのです。しかし、子どもが大きくなるにつれて、いい子になるように!勉強するように!どうして?早く!・・・親にとってよい形に当てはめようと、強いるようなかかわり方をしてしまいます。小さい頃、かわいい姿や純粋で素直な姿を、確かに見て、それが喜びとつながるものだと体から喜んだはずの証人であるのに、大人の立派な姿ばかりを求めてしまうのです。
同じく、キリストに出会ったばかりのときに感じていた純粋な喜びや輝きを、わたしたちはいつの間にか失ってしまい、活字という縄目に縛り付けられた宗教人となっていませんか。キリストと歩幅を合わせるということは、子どものように歩くことです。すると、物事を見る視点が子どもの目線になります。歩き方はよちよちです。低くなるのです。わたしの見方、聞き方、歩き方、話し方からキリストを現わす、今日はそんな日にしたいです。
「 わたしが告げ、救い、知らせた。あなたがたの中に、他に神はいない。あなたがたはわたしの証人」(イザヤ43:8~13)。