君は本当に素敵だね

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    聖霊降臨祭

使徒言行録2章1~13節、ヨハネ15章26~27、16章4節b~15節

君は本当に素敵だね

アンニョンハセヨ。チョヌンやん ひめラゴハムニダ(こんにちは。私はやん ひめです)。

今日はペンテコステなので外国語で話してみました。韓国語がだんだん私にとっても外国語になってきています。しかし、だからと言って日本語を流暢に話せるということではありません。こうやって日本語で説教をしていますが、皆さんが私の説教をどれほど理解していらっしゃるか、私にはいつも心配があります。伝えようとしていることがストレートにお伝えできているかどうか、不安になるのです。もしも伝わらないことがありましたら、いつでも聞いてくださればと思います。そうしていただくことで私の日本語はより豊かになります。よろしくお願いします。

伝えるべきことが伝わるとき言葉には力があります。言葉数は少なくてもいい、心からの言葉は伝わります。沈黙の内から出てきた言葉には力があります。

五旬祭の日に弟子たちは一つの場所に集まって祈っていました。すると彼らは聖霊に満たされて他国の言葉で語り始めました。多くの国から集まってきていた人たちは、弟子たちの説教を聞いて、みな自分の故郷の言葉を聞き、驚いています。自分の生まれ故郷の言葉で聞こえてきたということ。これは単に諸言語が語られたということだけでなく、より深い次元のことが起きていることを示していると思います。つまり、聞く人の内面の深いところに届けられる言葉、心の本当の故郷の言語が語られたということも意味しているのです。

内面の深いところに届けられる言葉、心の本当の故郷の言語を聞くとき、何も話さないでも傍にいるだけで心が通じます。遠く離れていても、あの人は私の置かれた状況を理解してくれていると信じられます。きっとそこには、信頼という揺らぐことのない関係性が築き上げられていて、互いの全存在を委ねあう美しさがあるのだと思います。

聖霊に満たされた弟子たちは、話しもしたことのない人たちの心の求めに応えているのです。弟子たちの話を聞く人々の渇いた魂は潤され、癒されました。  これが奇跡なのです。それは、人の内側に、誰も理解してくれないたくさんの悲しみや孤独が積もっているということなのです。

今日は一冊の絵本を皆さんにご紹介したいと思います。「君は本当に素敵だね」という絵本です。ティラノサウルスとエラスモサウルスという恐竜の物語です。

ティラノサウルスは、自分が世界で一番強いと思っていました。毎日毎日、弱いものを苛めて食い物にし、意地悪をする恐竜です。ですから、みんなから嫌われて、彼が現れるとみんな逃げていきます。

ある日、ティラノサウルスは、小さなスティラコサウルスたちを追っかけていましたが、がけのところまで来て、スティラコサウルスたちががけの下の木に隠れると、ティラノサウルスはその大きな体を止めることができず、そのままがけから海に落ちてしまいます。

海の中に沈みながら彼は心の中で叫びます。「助けて…助けて・・・だれか助けて!」と。そして思います。「おれは今までみんなに意地悪や悪いことばかりしてきた、だれもおれなんかを助けてくれるわけがない・・・」。そしてそのまま意識を失い、海の底の大きな岩のようなものの上に落ちてしまいます。

そのときです。ティラノサウルスの体が持ち上げられて陸地に運ばれます。彼が沈んだところは、岩ではなく、エラスモサウルスという、海の中に住むとても優しい恐竜の背中でした。

やさしいエラスモサウルスは、ティラノサウルスの体の傷をなめて癒します。意識を戻したティラノサウルスは、誰かが自分の体をなめていることに不安になり、こいつ自分を食べようとしているのではないかと警戒します。そして尋ねます。「どうしておれを助けてくれたの?」すると「だって、きみ、助けて!と言っただろう」とエラスモサウルスが言います。そう言いながら一所懸命傷をなめているエラスモサウルスを見て、ティラノサウルスは不思議な気持ちになりました。

「あ、ありがとう!」と、ティラノサウルスは、生まれてはじめて、この言葉を言います。そう言ったとき、ティラノサウルスは、心の中が暖かくなるのを感じました。

このときから、二人は友だちになります。二人は毎日砂浜を散歩しながら、海の中の話や陸地の話をしながら楽しく過ごします。そんなある日、エラスモサウルスがこのようなことを言います。「陸にはティラノサウルスという乱暴ものがいるって聞いたんだけど、お前はとても優しく、本当に素敵だね。実は、海の中にも乱暴ものがいて、僕はその乱暴ものに何度もやられたの」と言って、体の傷を見せます。

その言葉を聞くティラノサウルスの心は痛みました。まだ、自分がティラノサウルスだと自己紹介をしていなかったのです。

そしてある日、いつも会う約束の場にエラスモサウルスが現れません。ティラノサウルスはずっと待ちました。どんどん日が暮れていきます。日が沈みかけて、もう帰ろうとしたところにエラスモサウルスがやっと現れました。体は傷だらけです。一人では動けない状態です。意識もだんだん弱くなくなっています。ティラノサウルスは必死にエラスモサウルスを抱きしめて叫びます。

「お前、目を開けてよ。ほんとうのおれは嘘つきで、意地悪で、あばれんぼうで、ずるい、嫌われ者、ティラノサウルスなんだ…。」

このことばを聞いて、やっと目を開けたエラスモサウルスが言います。「ほんとうのきみは、こんなにやさしい、僕のたった一人の素敵な友だちさ」と。

私は、ペンテコステにはこの絵本のティラノサウルスとエラスモサウルスの暖かい友情物語を思い出します。きっと、私自身はティラノサウルスの姿をしているのです。自己満足、自己中心的な生き方の中でどんどん自ら一人ぼっちになっていく。その私は、皆さんと出会い、その優しさに触れて、やっといらない衣を一枚、もう一枚脱いでホッとしています。こんな私を信頼してくださる皆さんの姿は、弟子たちを信頼して聖霊をも送ってくださるイエスさまの姿に重なります。イエスさまは何の条件もなしに弟子たちを信頼し、上下関係ではなく対等な関係づくりをしてくださいました。友達と呼んでくださったのです。そして、神さまからいただいたものすべてを分かち合って、聖霊さえも与えてくださいました。

ですから聖霊は、人がイエスさまとつながる唯一の通路です。弟子たちがそうであったように私たちも聖霊を通してイエスさまとつながるのです。聖霊は、神の国への道を示してくださいます。その道のりでわたしは、「ほんとうのおれはうそつきで、意地悪で、あばれんぼうで、ずるい、嫌われ者、ティラノサウルスなんだ…」と、自分の弱いところ、駄目なところを素直に告白して悔い改めるのです。そこには、「ありがとう」という言葉が思わず口から出てくるところ、「君は本当に素敵だね」と言い合って友達になれる優しい世界が広がっています。

これが私たちの故郷です。これが、本当の故郷の言葉です。友のように聖霊を通して常に一緒にいてくださるイエスさまこそ、わたしたちの本当の故郷です。

私たちはこの世の言葉に疲れています。神の国を故郷と思うとき、この世で話す言葉は外国語です。とても合理的で、どこまでも知識を増やし、時には武器になって人を傷つけるその言葉に疲れ、悲しみと孤独、そして自責の念に苦しむわたしたちは、本当の故郷の言葉を聞き、優しさや美しさに包まれた本来の世界を生きるようになるのです。きっと、五旬祭の日に多くの国から集められた人たちは、その故郷の平和と希望につつまれたのです。

聖霊に満たされた弟子たちは、この優しい故郷の言葉を携えて、地の果てにまで出かけてゆきます。もう恐れはありません。ほとんどの弟子が殉教しますが、その心と魂は自分を迫害する人への優しさに満たされていました。

さあ、私たちも出かけましょう。自分自身の世界から他者の世界へ出かけて宣べ伝えるのです、「君は本当に素敵だね」と。これが福音です。どんなに憎たらしい人にも、「君は本当に素敵だね」と笑顔で言えるとき、神の国は広がり、教会も成長してゆきます。

 

ユーチューブはこちらから ⇒ https://youtu.be/hZtCQ-AHvcU