向こう岸へ渡る

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向こう岸へ渡る

 加部 佳治

いよいよオリンピックが始まりました。昨年からの感染拡大で、緊急事態宣言下での開催、皆さん様々な想いのある中での平和の祭典です。苦しい思い、辛い思いをされている方々もたくさんいます。医療に従事されて大変な状況の方々、世界中のすべての人々が見守る中、参加する選手たちには、心の中でエールを送りたいです。彼らの活躍を画面で見て、勇気をもらいたいと思います。

そして、私たちは、7 月のこの時期に、もうひとつ忘れられないことがあります。3 年前の士反先生の召天という大きな出来事を、私たちは忘れはしません。2018 年 7 月 22日、先生は最後の説教をここでされました。今年と同じマルコ年で、聖書箇所はマルコ 4 章 35 節「突風を静める」の箇所です。先
月の信徒説教で竹内さんが奉仕された箇所です。その 35 節はこう始まります。『その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。』 その向こう岸への船の中で突風にあい、それを静めたイエスに、「なぜ怖がるのか。まだ信じられないのか。」と叱られる場面です。
士反先生は「向こう岸」へ漕ぎ出す、このところを、その日交読した詩編 107 編を引用して話されました。107 編は 4 つの苦難と4つの救い、エジプトを立ったユダヤの人々が、荒れ野で迷い、導かれ、悪霊に捉われ、解かれ、罪に落ち、癒され、苦難のたびに主に助けを求めて叫ぶと、「主は彼らを救ってくださった」。そして 4 つ目に「海に出る」これは未知なる世界に向かっての歩みだしであり、その中で嵐という苦難に会います。そこでは自分たちの旧来の信仰や知恵では通じない苦難の中で、再び助けを求めて叫ぶと、「主は苦しみから導き出され」そして、彼らは「望みの港に導かれて行った」という場面です。「向こう岸」とか「海」という新しい世界に向かって、「嵐の中に舟を漕ぎ出す」ことが大事だと。その中で、苦難に遭いながらも「神様の確かな救い」に預かる、嵐をおびえて最初から舟を漕ぎだそうとしないのは、信仰が無いことと同じで、嵐を前におびえてしまうのは仕方がないことだが、そこで立ち上がって、その中に一歩踏み出していく、そのことの大切さを言われました。弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言ったイエスには、一歩踏み出すことにより、嵐に会う中で、「救い」への確かさを感じ、その上で彼らにこの先の道のりを歩んでほしい、との想いがあったのではないか、「私たちも一歩踏み出そう。」というお話でした。士反先生らしいメッセージですよね。さて、その「向こう岸」が、今日のヨハネ福音書 6 章の冒頭に出てきます。『その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。』この「5 千人への供食」の記事は、ご存知のように4つの福音書すべてに登場します。ところが、この 5 千人への供食の時に「向こう岸に渡る」と記されているのは、ヨハネ福音書だけです。ちなみにマタイでは「船に乗って人里離れたところ」へ行き、そこで食事を分け与えられ、その後、「向こう岸」へ渡ります。マルコでも同様、食事が終わった後に「向こう岸のベトサイダ」へ行きます。その途上で「湖の上を歩くイエス」に出会います。ルカでは「ベトサイダへ退き」と書かれ、そこで食事を分け与えられます。

一方で、ヨハネ福音書では、「向こう岸」に渡り、食事を分けるイエスの救いのわざがあり、それから再び船に乗り、「向こう岸」のカファルナウムに、その途上で「湖の上を歩く」イエスが、風を静めるという救いのわざに預かります。なぜ、ヨハネ福音書の記者(ここではヨハネと呼びます。)ヨハネは何故、「向こう岸」へ行ったり来たり、を繰り返したのか?食事のあと、再び渡った「向こう岸」はカファルナウムとありますので、ガリラヤ地方つまりユダヤの地です。こちら側に戻ってきたわけです。だから最初に渡った「向こう岸」は、異教の地、未知なる土地ということを言っているのでしょう。そこで 5 千人への供食という奇跡を行った。

先ほどの士反先生の説教の内容に沿って言えば、「向こう岸」の新たな世界へ一歩踏み出し、そこでイエスの救いの御業に預かった、という記述なのでしょうか。ちなみに、他の 3 つの福音書にはどれも、さきほどの「突風を静める」の記事が、今日の五千人の供食の前に置かれています。しかし、ヨハネ福音書にはありません。だからここで初めて「向こう岸へ渡る」、つまり新たな世界へ一歩踏み出した、と言えます。そのことをヨハネは強調して描いているように感じます。それは、今日の箇所の後のところ、6 章 22 節以降を見るとお判りいただけると思います。

22 節から、「向こう岸」を立ちカファルナウムへ、つまり地元であるガリラヤ地方に戻ってみると、後をついて戻ってきた群衆が、イエスに言います。30 節「わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。」31 節「わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」群衆は旧約聖書にあるように、モーセが与えてくれたように、「しるしを見せてくれ」、と言い寄ります。イエスは、パンを食べて満腹したから信じるのではなく、「神がお遣わ
しになった」イエス自身のことを信じるように説きますが、そのイエスを信じるためにしるしを見せてくれというのです。

この 6 章の 22 節から 50 節までの間に、「信じる」という単語が 5 回登場します。聖書の 1 ページに満たない範囲の中で、イエスは「わたしを信じる者は決して渇くことはない。」飢えることが無い。と「信じる」ように、と繰り返します。なぜ、ヨハネは、5 回も「信じる」と、繰り返し書くのでしょうか?それだけ「信じることのできない」私たち、ということでしょうか。2000 年前でも今でも、同じように「信じる」ことの出来ない私たちがいる。そう言わんとしているように感じます。イエスが五千人にパンを分け与える御業を行った「向こう岸」の新しい世界と、群衆が天からマンナを降らせる旧約聖書の記事に固執する「こちら側」ユダヤの地。「向こう岸へ渡る」という場面を設定することによって、対比的に表現して強調しているように感じます。

さて、その向こう岸に渡って行われた奇跡、5 つのパンを五千人に分け与えたとあります。1 つのパンを 1000 個に分けるとは、長手に 10 等分して、それを短手に 10 に分け、さらにそれを縦方向に 10 等分。これで 1000 個ですね。まあ、大きなパンであれば物理的には出来ない事ではないかも知れません。鳩にあげるくらいの大きさになるでしょう。それで人々は「満腹した」とあります。本当に空腹で他に何も食べるものが無い時だったら、もしかしたら鳩が啄むくらいでも、「心は満たされる」かもしれません。しかしながら、食べ終わった後に残ったパン屑が、12 個の籠を一杯にした。まあ、これ
は、現実的では無い、ちょっとあり得ない。つまり「奇跡」ということですね。この「奇跡」について、士反先生が説教の中で話されたことがあり、印象に残っています。

今日の五千人への供食もそうですが、イエスが示した数々の奇跡物語について、そのこと自体、つまりパンを五千人に分け与えられたということは、それは今の私たちが、普通に考えれば信じ難いこと。わたしたちの生活の外にあること。しかし、そのこと自体は「信じきれないけれど、それを『神様が私たちの前におかれた話』として受けとめ、少し客観的に距離を置いて、その意味を考えて行く。その中で、次第にその意味を理解していく、それが信じられていくということ。そのことが、自分たちのこの先の決断に繋がって行けばよいのではないか。」そんなようなことを言われました。聖書に書かれている字面を、私たちがそのまま信じることが出来ないのは、それは「当たり前」で、そこに語られている意味を客観的、つまり決して独りよがりではなく考察する中で、神様の言わんとすることが「腑に落ちる」ようになるべきだと。それでは、今日のヨハネ福音書に示された「5 千人にパンを分け与えられた」という話しの意味するところは何でしょうか?

今日の箇所は、第1日課の列王記下 4 章 42 節 のエリシャが百人の人にパンと穀物を分け与えた記事がモチーフになっていると言われています。「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と召使が言います。今日の場面も、9 節で、「大麦のパンが5つ、魚が 2 匹しかない。これでは何の役にも立たない」とアンデレに言わせ、「めいめいが少しづつ食べるためにも、二百デナリオン分の
パンでは足りないでしょう」とフィリポに答えさせます。それでも「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。」感謝の祈りを唱えて、分け与えた。弟子たちが「絶対的に足りない」というパンを「感謝の祈りを唱えて分け与えた」とあります。この「足りない」状況の中から「分け与える」、私たちの「足りない」を主イエスは「分け与えていく」のです。

先ほどご紹介した今日の箇所の先のところ、6 章 22 節からの、ユダヤの地カファルナウムに戻って、群衆が言った、「モーセがしてくれたように天からマンナを降らせてください」と、一方的にめぐみを待つ。これは出エジプト記16章の記述ですが、人々はエジプトを立ち旅に出ると、すぐにパンが無い、水が無いとモーセに不平を言います。旧約の民、彼らは、もちろん神様を賛美します。ほめたたえます。ですが、「荒れ野に入る」、つまり苦難を受けると、「すぐに不平を述べ立てる」とあります。「こんなことだったら、エジプトで死んだ方がましだった」苦難に会うたびに、モーセにあたります。そして天から降って来るパンを待つ。「与えられる」ばかりの群衆です。イエスは、この群衆を連れて「向こう岸」に渡り、「足りない」中から「分け与える」「差し出す」ことを、自らして見せた、とあります。これが、ヨハネが今日の箇所で言いたかったところ、なのかと思います。「与えられる」から「差し出す」へ。それも余りある中ではなく、「足りない」中で「差し出す」。このことを、「向こう岸」の新しい土地、未知なる世界へ、舟を漕ぎ出す、一歩踏み出すこと、としてヨハネは言っている。
「無いから与えてください」「しるしを見せてください」と「与えられる」ことを待つだけの民から、自ら「足りない」中で、「差し出していく」そのように変わって欲しいと。感謝して祈り、信じて差し出していく、そう生きて欲しい、とイエスが身をもって示された話として、ヨハネはこの奇跡物語を書いているのだと思います。

本日、梁先生は、浦和教会で説教奉仕をされています。浦和教会の笠原先生が、無牧である大宮教会の礼拝に奉仕されているためです。私たちは、今は専任の牧師に恵まれて、毎週の主日礼拝で、当たり前のように梁先生の説教を聞き、梁先生を通して祝福を受けています。この恵まれた環境の一方で、梁先生が去られた大宮教会はじめ、関東地区には無牧や兼牧の教会がいくつもある現実を、私たちは、ふと忘れがちではないかと思います。少なくとも、一昨年無牧だった頃の方が、同じ環境にあった新発田教会のことや、支援してくれていた戸塚教会をはじめ神奈川分区の他の教会のことを、思い、そして皆で祈っていたと思います。足りなくて、与えられていたばかりの私たちは、梁先生を招聘するという恵みに預かりました。今度は不足している教会を支援する側にならねばならない。もちろん牧師が二人も
三人も居て有り余っているというわけです。梁先生を派遣すれば、私たちは主日の礼拝の説教奉仕の牧師が居なくなってしまう。でもその中で、私たちが出来ることを考え、思い巡らし、そして「不足している」兄弟姉妹のことを祈る、そこに一歩踏み出して行く、そう変わって行く、主イエスにそのように言われているように感じます。

今年も 8 月の平和の週間がやってきます。私たちは、例年のように「平和のための祈祷会」を、藤沢市の教派を越えたキリスト者の仲間と一緒に行います。その祈祷会で、いつもアッシジの聖フランシスコの平和の祈りを祈ります。「神よ わたしに 慰められることよりも 慰めることを、理解されることよりも 理解することを、愛されることよりも 愛することを 望ませてください。」
この祈りは、有り余る中で、余裕のある中で、慰めるのではない、理解するのではない、愛するのではない。今のコロナ禍、この不安の中で、とても他人のことを思いやる余裕などない。そう思いたくなる現状です。でもそんな状況にあっても、その中で、「苦難に会っている隣人を慰める」「孤立している誰かを理解する」「すべての人を愛する」ことを望ませてください。と聖フランシスコは祈っているのだと改めて思います。

そして、オリンピックに世界中の国々から集まってきた選手たち。彼らの国の多くは、平和で豊かな国ではない。民族紛争や内線、異常気象に伴う干ばつや洪水、そしてコロナウイルスの感染。ワクチンが行き渡っているのは、世界の中でごく一握りの豊かな大国だけです。他の多くの人々は、変異株の感染が拡大する中で、なす術もない状況にあります。そんな国々の人たちが、明日への希望と平和への期待を込めて、送り出した選手たちです。画面の中でしか見れませんが、この選手たち一人ひとりに、「ガンバレ!」と言いたいです。そして同時に、彼らを送り出した其々の国の人たちに「ガンバレ!」とエールを送りたいと思います。お祈りいたします。