喜び祝うのは当然ではないか

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喜び祝うのは当然ではないか

             ルカ 15 章1-3,11‐32         加部 佳治

ルカ福音書は文学的と言われます。私にとっても、ルカ福音書の文章は、象徴的な場面
の設定が巧みで、引き込まれます。
たとえば、「平地の説教」と言われる 6 章 17 節、「イエスは祈るために山に行き」そして「山から下りて、平地にお立ちになった」そこで「貧しい人々は・・」とはじまります。マタイ福音書の山上の説教を、ルカは神様に祈る山と対比的に、平地にイエスを立たせて、群衆に伝える場面とします。
また、8 章 32 節の突風を静める場面では、「向こう岸へ渡ろう」とイエスが言われるところから始めています。これから何かが始まる、そんな期待を読者に与えます。
これらの場面設定の巧みさによって、読者はこの場面を鮮やかにイメージし、あたかも
目の前で起こった出来事のように、イエスを身近に感じることができます。ルカ福音書の魅力のひとつだと思います。
それに比べて今日の箇所は少し違っています。
15 章は、1 節で罪人たちと一緒に食事をするイエスに文句を言う、ファリサイ派の人た
ちに対して、「見失った羊」、「無くした銀貨」の譬えに続く 3 つ目「いなくなった息子」の譬えですが、ここでは象徴的な場面の設定とは違って、登場人物が前半後半で入れ替わる、という設定になっています。
前半 11 節は、「いなくなった息子」という小見出にあるように、家出をし散財して帰ってきた弟と、それを抱きしめた父親の 2 人が登場人物。そして後半 25 節では、今度は登場人物が兄と父親に代わり、この 2 人だけのやり取りになります。この羊、銀貨、息子の3つの無くなったものの譬え話が、後半の「無くなってはいない兄」の登場によって、ルカが譬えをどのように伝えようとしているのだろうかと、そのようなことを考えながら、読み進めてみたいと思います。
11 節から 14 節、家を出て行った息子は、何もかも使い果たし、ひどい飢饉にあって食
べるのに困窮し、17 節で「我に返って言った」とあります。羊や銀貨と違い、この譬えでは、無くなった本人が「我に返った」。そして自分で父の所へ帰るという話です。
ただし、「我に返って言った」内容は、次のように書いてあります。
「父のところには、あんなに大勢の雇人がいて、有り余るほどのパンがあるのに・・」
と。そして父のところに行って「雇い人の一人にしてください」と言おうと。
「我に返って言った」は、口語訳聖書では「本心に立ちかえって言った」とあります。自分がどんなに罪を犯し、醜い存在であるかに気が付いた、というのが、「我に返った」の意味だと思いますから、そうであればこの弟は、これから先は兄のように額に汗して一所懸命に生きて行くのでしょうか? 皆さんはどう思いますか?残念ながら私には、そうは思えません。その理由は、11 節に「何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、食べるものにも困り始めた。」とあり、そこでこの弟は、「その地方に住む裕福な人のところに身を寄せた」とあります。たぶん自分が良家の子息である縁故で、裕福な人をたよって養ってもらおうとしたのでしょう。
ところが「その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた」とあります。ユダヤの社会で
は、豚を食べるのは、異邦人のすること。つまり神様と契約を結んだ民とは見なさない、ことになります。そんな豚の世話をさせられ、その豚の食べるいなご豆を食べようかと。彼の「良家の子女」のプライドは痛く傷ついたと思います。家を飛び出して遊び惚けて無一文になったのに、それでも相変わらず自分の生まれの良さ(身分)をたよりにしようとした自分が、ここで否定されました。
しかし、その時彼が思ったのは、「一から出直して一所懸命に生きよう。」ではなく、
「父のところ」に行けば、「あんなに大勢の雇い人が居て、有り余るほどのパンがある」ということです。まあ、家出した自分は直ぐには許してもらえないだろうから、息子として戻るのは難しくとも、雇い人としてでも置いてもらえば、食うに困らないだろう、その程度の「我に返った」なのではないかと思います。
だから彼は、「我に返った」としても、家に帰って再び食うに困ることが無くなれば、
きっとまた同じような事をするようになるのではないでしょうか?
でも、そんな息子を、父は抱きしめて受け入れ、祝いの宴会を催します。
註解書によれば、この譬えは「いなくなった息子のたとえ」ではなく、「愛する父の譬
え」なのだとあります。父の「愛と赦しと喜びについての譬え」なのだと。そしてこの父の愛は、寛大な神様の愛だというのですが、私には、ちょっとピンと来ないです。
食うに困って家に帰った息子。家出し親を心配させ、身代を食い潰した息子のすべてを
無条件に赦す「寛大な神様の愛」。でも、本当にそれで良いのでしょうか?だって、この弟は、どうせまた同じことをするのでは?と思ってしまいます。
ここのところは、JELC の関野和寛牧師が言う「ダメ親父の譬え」の方が腑に落ちます。今日梁先生は浦和教会に説教奉仕に行かれていますが、この浦和教会の笠原牧師がやっているロックバンドのリーダーが、福音ルーテル教会の関野牧師です。
私は、たまたま新聞広告に出ていた彼の書いた本のタイトルに目が留まり、気になって
手にしてみると、その中にこの放蕩息子の譬えについての文章がありました。その本のタイトルは「きれい事じゃないんだ、聖書の言葉は」と言うものです。この本の中で関野牧師に言わせれば、この「放蕩息子の譬え」は「ダメ親父の譬え」なのだそうです。息子が家出し母親の存在も良く解らない。そんな家庭崩壊の状態のような家族、そもそもその原因は、息子を甘やかした父にあるはずなのに、そんな状況の中でも、家出から戻った息子を溺愛する「ダメ親父の譬え」だと言います。
聖書に出てくる家族像は、けっして美しいものではなく、アダムとイブの物語から始ま
り、兄弟で殺し合ったり、裏切りが有ったり、いがみ合ったり、でも父なる神様は、「そんな人間の家族を諦めない」と関野牧師は言います。何度も何度も問題を起こし、いがみ合う人間に期待を裏切られても、それでも「自分の似姿として創った」人間を、神様は「身内や家族」のように扱って、私たちへの関りを諦めない。この譬えは、そんな「ダメ親父」である「神様の愛」の譬えなのだと、本の中で力説します。
今新しい聖書協会共同訳の聖書を通読していても、旧約聖書の神様は、真実の果実を食
べたり、金の子牛を造ったり、掟をすぐに破ってしまう民に激怒して「すべてを滅ぼす」と言いながらも、その度にモーセに一所懸命になだめられるなどして思い直す。そして決して私たちを滅ぼしはしない、このことを繰り返します。
出来の悪い息子に対するように、怒って拳を振り上げるけれど、でもそのドラ息子を愛
しているから、消してしまうとかはしない。「自分の家族」である私たち人間を、けっして諦めない。こんな旧約聖書の神様の姿は、確かにこの譬えのダメ親父とも通じるところがあるように、私も感じます。
さて、このダメ親父と放蕩息子の話しが、後半 25 節「ところで、兄のほうは畑にい
た」から登場人物が兄に代わり、この兄とダメ親父のやり取りになります。
兄は、宴会を催した父の行動を受け入れられない。彼は弟の行動を非難しますが、それ
以上に訴えたのは、29 節「私は何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことはありません。」です。そう自分の正しさを主張したうえで、「それなのに、子山羊一匹すらくれなかった」と、訴えます。
「それなのに、」と。あなたは弟に「肥えた子牛を屠っておやりになる」「それなのに、子山羊一匹すらくれなかった」と父を叱責します。まさに「ダメ親父」と言わんばかりに。兄は、弟が「勝手に家業を放り出して、財産を食い潰した」ことが許せない。いなくなった弟が、今までどこでどんな暮らしをしていたか?とか、どんな思いで帰ってきたのか?など、弟自身のことには関心が無いようです。弟のせいで自分が損をしてきた、そのことだけが頭の中にあるようです。その兄にダメ親父は言います。「喜び祝うのは当たり前ではないか。」と。ルカは、ここでたとえ話を終わらせています。
弟のせいで損をした、自分の損得勘定だけを考えている兄。弟の存在には全く関心が無
い兄は、おそらく父が何を問いかけているのか、解らないでしょう。
同時に、ルカは読者である私にも、ここでプツンと譬え話を終わらせて、この父の問い
かけの意味を、考えるように言っていると感じます。
個人的な話になりますが、私も弟と二人兄弟で兄の立場でした。弟はすでに病気で亡く
なり今はいませんが、今回のたとえ話を読みながら、いろいろと弟のことを思い出しました。そして何となく、このたとえ話の兄と私自身が重なって思えるところがありました。私と弟は 6 歳違いでした。私が中学 1 年の時、弟は小学校 1 年生でしたので、一緒に遊ぶというよりは、「小さい弟と遊んでやる」「面倒を見てやる」と言う感じでした。特に私が高校生になってから 7 年間、父が広島に単身赴任し不在でしたので、小学生の弟に対して、自分は良い兄で居なければ、という想いが強かったと思います。
その関係は、おそらく二人が社会人になっても同じようだったと思います。いや正確に
言えば、兄である私が弟を見ている見方が、ずっと「面倒を見てやっている」と言う感じだったと。
弟は、いつも周りに友達がたくさんいてスポーツや趣味など青春を謳歌していました
が、もちろん放蕩息子ではなく、仕事や家族にも恵まれ充実した人生を送っていたと思います。そんな弟を、私は大人になっても相変わらず「頼りない弟を面倒見てやっている」というように見ていた、今思い返すとそう感じます。
先日、梁先生に司式をお願いし、私の両親と弟の召天記念の家庭礼拝をしていただきま
した。両親は二人とも 3 月にこの世を離れましたので、弟と併せ、このレントの時期に家族で祈りの時を持ちました。礼拝後に、家族が皆それぞれ、弟についての想い出を話す機会がありました。私はその時、妻や子ども達が、それぞれに弟のことを、私とは全く違う見方で見ていて、皆それぞれに、弟の人生に対する様々な印象を持っていることを初めて知りました。
考えてみれば当たり前のことなですが、社交家であった弟は、家族だけでなく多くの友
人など周りの人に接し、いろいろな印象を残しています。彼の存在は、私が思っているよりずっと大きく、周囲の人たちの中にしっかりとありました。
それなのに、私は兄として、いつも弟を「頼りない弟」という見方で見ていました。そ
んな自分に、今頃になって気付かされました。
なんだか急に、弟に今まで申し訳ないことをしてきた、そんな気分になりました。
もっと弟のことを解る、というより弟の話を聞けば良かった。弟という存在、をもっと
感じたかった、今はそんな想いです。
そんな風に思うとき、もしかしたら譬え話の兄も、私と同じように、彼の弟を見ていた
のではないか?と感じます。生真面目に家業の農作業に従事し、「頼りない弟」を「面倒見てやっている」。そのように弟に接していたのではないかと。
私と弟は大人になってからは、別々の生活をし、仕事も別々でしたが、この譬えの時代
は、弟と兄は、父親と一緒に働き生活も共にしていたのでしょう。
兄は、自分は一所懸命働いて「頼りない弟」を「面倒を見てやっている」と思ってい
る。だから勝手に出て行った弟は許せない。しかも風の便りに「娼婦どもと一緒に」「身代を食い潰した」と聞いて、怒り心頭に達するわけです。
これは勝手な想像ですが、兄が「頼りない弟」を「面倒見てやっている」と思っている
分、弟の方は、兄をどう感じていたか?
きっと弟の方は、この兄を鬱陶しい存在だと思っていたのだろうと思います。彼にすれ
ば、いつも生真面目に働く兄と周囲から比較されていたでしょうし、たぶんどこか別のところに働きに出るなど無く、この先もずっと優等生の兄の弟として、この家で生きて行く。もしかしたら、自分の存在価値に疑問を抱いていたのかもしれません。だから、家を出たいと思ったのか?ずっとこのままの人生に見切りをつけたかった、荷物をまとめてどこか「遠い国」に行きたかった。つまり自分の家には、居場所が無かった。そう思います。兄は、そんな弟の気持ちを察することも無い、弟のことを、ただ「頼りない弟」だと見ているから。弟という存在そのものに、きちんと向き合っていないから。
そんなことより彼にとっては、世間への体裁の方が大切だろうから、「娼婦どもと一緒
に」「身代を食い潰した」ような弟は、もはや「いなくなった者」ではなく、最初から家族の中には「いない存在」として扱っていたかもしれない。
そして「いない存在」のはずの弟が、突然帰って来て、宴会の主席に座るのを見て、兄
は「怒って家に入ろうとしない」。
29 節「それなのに、私には子山羊一匹すらくれなかった」の後、30 節「ところが、あ
なたのあの息子が、・・・」と兄は弟のことを「あの息子」と言っています。冷たく突き放した感じが良く解ります。こんな弟は弟として認めたくない、そんな兄の気持ちが現われています。
それに対してダメ親父は、最後の 32 節で「お前のあの弟は、・・」と返します。「あれはお前の大事な弟だろ?、大事な兄弟だろ?」と言っています。
そして父は、「子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。」
「子よ」と呼びかけます。ちょっとこの日本語訳はどうかと思います。英語の聖書では
「My son、」と呼びかけていて、「私の息子よ」と、もちろんお前も大事な「私の息子」なんだと呼びかけます。そのうえで、「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ」と言うのです。ここの表現にも注目したいです。普通だったら「死んでいたのに生き返った」方が一大事ですから、文章の順番が逆で、「いなくなっていたのに見つかった」の後にこの表現をして、より強調すると思いますが、何故でしょうか?
ここの「いなくなっていた」とは、先ほど言ったように、家出して物理的に居ないだけ
ではなく、この家族の中では、そもそも存在が無い、つまり「弟がいないものとされていた」ということを言っているのだと思います。放蕩の限りを尽くし、身代を無くしてしまった、家族にとっては不名誉な弟は、その存在を無視された。
この「無視」は、死んでしまうことより辛い。このことは現代だけでなく、2000 年前の時代でも一緒のはずです。家族のためにまじめに尽くしてきた兄にとって、弟は「いないもの」と思いたかった。そんな兄の気持ちを、このダメ親父は「そうじゃないだろ?」と、「居ない者」にされていた「お前の大切な弟」が帰ってきたんだ、と。だから「喜び祝うのは当然ではないか」と。
本日の箇所は、15 章 1 節から 3 節で、「罪人たちを受け入れ、一緒に食事をしている」イエスに、「ファリサイ派の人々や律法学者たち」が文句を言ったのに対しての、11 節からの「いなくなった息子」のたとえです。ファリサイ派の人々が、罪人として社会の中で「いない者」と見なしているこの人たちが、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた、イエスに見出されたのです。だから、一緒に食事をするのは当然ではないか、「喜び祝うのは当然ではないか」。ルカが、兄として登場させたファリサイ派の人々に、イエスはこう言います。
今、自分の意に反する相手を暴力で屈服させる。それどころか「いない者」として扱
う。そんなことが横行しています。社会がますます寛容さを失っていく中でこそ、私たちはこのイエスのメッセージをしっかりと心に留めたいと思います。
そして、もう一人の登場人物、放蕩息子の弟には、ダメ親父の諦めない愛が伝わったで
しょうか? おそらく彼はまた罪を繰り返すでしょう。
私たちも同じです。私たちもまた罪を繰り返す。
でも、それでも諦めない父なる神様の愛だというのです。「喜び祝うのは当然ではない
か」と、再び罪を繰り返して、そして「我に返って」帰った私たちを、抱きしめてくれるのです。
このレントの時期にこそ、このことを受けとめたいと思います。