委ねる
2022年9月6日
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一つの空の下で迎える同じ朝に
ある所では虹が現れ人の心をときめかせ、
ある所では雨や蒸し暑さで、心にも汗が
しかし、どういう状況でも不満なく勢いよく成長する雑草や野菜。
それらの語りかけに、恥ずかしく、心を隠したくなった。
「恥じることはない。どんな状況でも、今が新しい始まりである!」
「ときめきは、委ねるときに与えられるものだ」と、
かぼちゃの葉っぱにそう語りかけられたような朝。
恵み豊かな一日の始まり!
「委ねるとは究極の引き渡し」
「いい気になりたい誘惑」は、
「あなたのやり方で生きなさい」と、私たちをそそのかす。
過去のデータを分析し、将来の展望をはじき出し、
綿密なプロジェクトを立ち上げ、それに伴う実践計画を立てる。
私たちが、大きなことだけでなく、
小さな日常の事柄の中で通常している「やり方」は、
常識的であるし、必要でもある。
けれど私たち、キリストに従う者たちは、
常に「プラスα」のスペースを空けておくべきだろう。
私たちの頭では計算しつくせない、神の「やり方」のために。
それは、神の心に「委ねる」、イエスの心、
マリアの心、そしてすべての神の民の心である。
(「マリアの風に乗って」岡立子著「いい気になりたい誘惑」より)
私は、邪悪なことを目の前に置かず
主に背く行いを憎みます。
それは私に付きまとうことはありません。
曲がった心は私から遠ざかります。
私は悪を知ることはないでしょう。
陰で隣人をそしる者を私は滅ぼします。
高ぶる目、驕る心を持つ者に耐えることができません。
(詩編101:3~5)
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