自由
2022年11月15日
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私たちには、自由が与えられている。
食べることも、着ることも、働くことも、
自分の自由の中で選び取ることができる。
けれど、それがどんなに良いことであっても、
他者を傷つけ、つまづきを与えるようなことであれば、
それは、与えられた自由を誤って使っていることになる。
他者と共に生きる、そこに真の自由の意味がある。
イエス・キリストは、敵のただ中で生活された。
最後には、すべての弟子たちが、
イエスを見捨てて逃げてしまった。
イエスは十字架の上で、悪をなす者たちや
嘲る者たちに取り囲まれて、ただ一人であった。
彼は神の敵たちに平和をもたらすために来られたのである。
だからキリスト者も、修道院的な生活へと隠遁することなく、
敵のただ中にあって生活する。
そこにキリスト者はその課題、働きの場を持つのである。
(ボンヘッファー「共に生きる生活」より)
すべてのことが許されています。
しかし、すべてのことが益になるわけではありません。
すべてのことが許されています。
しかし、すべてのことが人を造り上げるわけではありません。
誰でも、自分の利益ではなく、他人の利益を求めなさい。
(1コリント10:23~24)
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