宝の箱を開けて
クリスマス燭火礼拝
マタイによる福音書2章1~12節
宝の箱を開けて
皆さま、救い主イエス・キリストのご降誕おめでとうございます。今年も救い主のご降誕を皆さまとご一緒に、平和の中でお祝いできることを、心より感謝をささげたいと思います。一昨日は冬至でした。一年の中で、闇が最も深いこの時期に、その闇のただ中にお生まれになった救い主を、私たちはお祝いをしています。
キリスト教が広がり始めた初期の頃、ローマではこの冬至の時期に太陽神の祭りが行われていました。それに対して、ローマのキリスト者たちは、同じ時期を救い主イエス・キリストの誕生日として祝うことを決めたのでした。それで、12月25日がイエス・キリストの誕生をお祝いする日になりました。救い主は、闇のもっとも深い夜に、ベツレヘムの家畜小屋でお生まれになったのです。
さて、今年もたくさんの出来事がありました。中でも、2月24日に起きたロシアとウクライナの戦争は未だに終わりが見えず、ロシアとウクライナの人々はもちろん、世界の人々の心を闇の方へ向かわせています。
戦争をしているロシア、ウクライナは、東方教会、つまり正教会の国です。私たちは西方教会の流れにあるルーテル教会で、今をクリスマスとしてお祝いしますが、東方教会では東方の学者たちの到来を記念する1月6日がクリスマスです。
先ほど拝読していただいた聖書に記されているように、ユダヤ人ではない外の世界の人々に救い主の生まれが知らされたのは、生まれてから少しときが経ってからと理解しているからです。
その東方の国、ウクライナの首都のキーウにもクリスマスツリーがライトアップされ、ウクライナの勝利と平和が願われたという報道がありました。
戦時下でクリスマスを迎える人々。父親や息子たちが戦闘のために動員され、多くの人が帰らぬ人となり、住処が爆弾攻撃を受け、大勢の人が故郷を追われ難民となり、家族がばらばらになりました。このような人々にとって、去年のクリスマスは家族と一緒に過ごした最後のクリスマスになりました。
家族が揃ってクリスマスの祝いができること。それは当たり前のことではないのです。そのときは、感謝の時であり、恵みの時なのです。どんなに豊かで平和な中にいるとしても、そのときはもう二度と訪れないかもしれない、尊いときなのです。まさに、今日がそのときです。
今年のクリスマスは、切実な状況の中でクリスマスを迎える東方の方々のことを心に留めながら、東方の地から、救い主に会うためにはるばると旅をしてきた占星術の学者たちを通して、聖書の言葉を分かち合いたいと思います。
この占星術の学者たちのことを表すギリシャ語はマゴスという言葉ですが、それは、ペルシア語のマギという言葉に由来し、意味は、魔術師・占い師、さらには天文学者のことを指します。彼らは古代世界の中で最高の知識人と呼ばれ、尊敬される立場にいる人たちでした。
その彼らが出発した国は、今のエチオピア方面ではないかと言われます。そこは長い間アッシリアの支配下にあり、そしてその後はローマ帝国の権力の支配下にあった地域です。権力から権力へ続く、その支配下で息を潜めて生きる人々。
権力は、人の権利や命をちっぽけに扱います。クリスマスツリーが点火されたキーウで、小さな子どもとクリスマスツリーの点火を見ていたウクライナのある父親は、一歳の息子が、爆弾の音を聞かないで眠れる日が早く来ることを祈ったと言っていました。生まれた世界から聞こえるのは大きな爆弾の音、それがどれだけその子の内面に暗闇を形成していることでしょう。権力は、人の内面に暗闇を形成させ、孤立させていきます。
本日の聖書の中の占星術の学者たちは、社会の中で尊敬される立場にいながらも、その権力に頼ることなく、自分たちを、その深い暗闇から解放してくださる救い主を求め、はるばるとベツレヘムの聖家族のもとにたどり着いたのでした。
そうです。彼らは母マリアといっしょにおられる救い主に出会いました。彼らは、救い主を拝んだのち、持参した宝の箱を開け、そこから黄金、乳香、没薬を救い主イエスさまの前に差し出します。これらのささげものは、それをいただく人がどんな人かを表しています。黄金は威厳を現し、乳香は香ですから祈り、つまり霊性を表し、没薬は死と関係していますから永遠を現すものです。彼らは、救い主に出会って、この方こそ、闇の世界の中で威厳を持ち、深い知恵と力によって、人々を光の世界へ導いてくださる方であることを確信したのでした。
彼らは救い主の前で宝の箱を開けたのです。自分の宝の箱を開けるという行為。
どんな時に私たちは自分の宝の箱を開けますか。大切な人に出会ったとき、人生の大事なときに、私たちは宝の箱を開けます。
それとも、いえいえ、私にはそんな宝の箱などありませんという方もいらっしゃるかもしれません。本当にないのでしょうか。私は、宝の箱を持っていない人は誰もいないと思います。持っていることに気づいていないだけなのです。
宝の箱、それは救い主の前で開くもの。他の言葉で言えば、心と言えましょうか。心の中の孤独を納める箱と言った方がいいかもしれません。
ですから、作られたもので、この宝の箱をもたないものは存在しません。それゆえ、造られたものはすべて渇きを覚えます。渇くところは闇の世界ですから、光を求めるのです。植物も動物も、空の鳥も海の魚も、渇きに気づきます。それらは自然に互いの渇きを共有します。助け合って共存する道を常に選び取ります。人間だけがその道を歩かないのです。渇いていることに気づきながら、どんどん寂しい道を選び取り、終には権力や富や名誉に依存して、暗闇の中に留まってしまうのです。
占星術の学者は、そういう暗闇を作り出す権力の支配下にあって、しかし光を待ち望み、救い主に出会ったのでした。彼らは救い主の前で自分たちの宝の箱を開けたのです。心の中の深い暗闇の扉を開いたとき、彼らは救い主の光が自分たちの中に灯されたことに気づきました。
占星術の学者たちは、来た道を避けて、別の道を辿って自分たちの国へ帰って行きます。つまり、ヘロデ王が待っているエルサレムの宮殿への道ではなく、救い主に示された新しい道、光の道、分かち合って互いの必要を満たして共に生きる、愛する道を選び取って帰って行きました。彼らの内面に救い主の愛の光が灯されました。これから彼らはその灯火を人々に分かち合いながら、どんなに深い暗闇の中でも、希望をたずさえて歩いていくことでしょう。
時々、寂しいと思うときがあります。歳を取って特に寂しさを感じるようになりました。しかしそれは、自分の周りに人がいないからではなく、心の扉を閉めているからです。心の扉を閉めてしまえば、大勢と一緒にいても一人ぼっちのように寂しいです。反対に、心の扉を開けば、深い山の中に一人で住んでいても、この世のすべてとつながって生きます。山の中に住む命あるものが全て友達になり、空の星や月も友達になりますから、豊かな生です。そして、誰も私のために何もしてくれなくても、一緒にいるだけで心は満たされます。心の扉を開いていますから、空間や時間を超えて、創造主と永遠につながっています。その人は、たとえ今日が人生の最期のクリスマスになるとしても、恐れないのです。恐れずに、新しい始まりを生きはじめます。愛する道を選び取り、隣人と分かち合って生きる道を歩き始めます。この世の中がどんなに深い闇に覆われても、キリストの光は決して消えないという、本当の強さに気づいたからです。
権力の暴力のもとに置かれているウクライナの人々の心に、権力より強い光が灯されることを願うとき、まず私たちが救い主の前で心の扉を開いて、救い主イエス・キリストの光を心にお迎えしたいのです。本当の強さを手に入れて、堂々と愛し合って共に生きる新しい道を歩き出しましょう。
どうか、今、爆弾の音や武力によって、生きる希望を失い、恐れと不安の中にいる人々が、救い主イエス・キリストの光で満たされますように。