牧師室
誕生会へお招き
幼子たちの誕生会に招かれた。 名前の由来やこの頃できるようになったことなど、 すてきな分かち合いをしていただいた。 それに、小さな口を合わせて歌う賛美と祈り、 どんなご馳走を盛大に準備して開かれる誕生会よりも満腹したとき…
続きを読む共存
冬の寒さがまだ残っているところへ、そっと、謙遜に入って来て、 凍えた大地を暖め、眠っていたものを目覚めさせ、 生きる喜びと希望を与えてくれた春がもう去ろうとしている。 春の終わりのぎりぎりのところで気づくこと、そっと寄り…
続きを読む波と私
親密な交友を楽しもうとするなら、 遠く離れていなければならない。 (ヘンリ・デイヴィッド・ソロー)。 目をつぶって波の音に耳を傾ける。 波は私の傍に、私の後ろにまで来て私を囲み、私を包み込む。 私は波と一緒になって風に揺…
続きを読むもてなし
森に行けばおおぜいの仲間に会える。 みんな孤高の存在だ。 (ヘンリ・デイヴィッド・ソロー) 久しぶりに訪れた新林公園。 道が草刈りをしてきれいに整えられていた。 まるで、私が来るのを知っていたかのように! お招きを受けた…
続きを読む大人
子どものときは自分が中心になる。 成長するにあたって、周りの人に気配りをすることを学び、 他者と共に生きるという素晴らしい社会性を学ぶ。 しかし、歳をとって大人になっても、 自分を導いてくれる上の存在を求めるもの。 死ぬ…
続きを読む存在者
私たちが神のことを考えない時があると言って、 神から嫌われていると心配しなくてはならないのでしょうか。 13世紀に生まれたラインラントのマイスター・エックハルトは次のように述べます。 「神に心を向けるとは、神について絶え…
続きを読む旧友
久しくあった友人と過ごす時間は、格別なとき。 積もり積もった話が絶えず、笑ったり、泣いたり・・・ 夜が明けるまで、調子にのって飲みすぎた(´;ω;`)ウゥゥ 今おられ、かつておられた方。 全能者である神、主よ、あなたに感…
続きを読む確信
愛し、愛されるということ。 それは、今、自分の前にいる人を愛せるかどうか、 その人を罪人のまま受け入れられるかどうかということ。 キリストは、今、このままの私を、 罪人のままの相手を受け入れられない私を愛してくださる。 …
続きを読む謙虚さこそ
自分が正しいと思って情熱を注ぎ、一所懸命にやったことが、 人を傷つけることになる場合がある。 助けてくれない人に「冷たい!」と思いつつ行ったことが、 やらない方がよかったことだったりする。 私が正しいと思って行うことと、…
続きを読む識別
理解できない相手を常識外れと思うのは、 自分が愚かだからだ。 なぜ私たちはいつも、認識力をもっと鈍いレベルに落とし、 それを常識として賛美するのか。 人の一倍半頭が切れる人を、 私たちは人の半分しか知恵のない人と分類する…
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