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牧師室

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梁熙梅牧師

わたしは、2020年(令和2年) 4月に就任した牧師の梁 熙梅(やん ひめ)と申します。
この新しい時代を湘南・鵠沼の皆さんと一緒に生きるようにと、神さまは、潮風薫るこの良き地を選びわたしに与えられたと思っています。

“with コロナ時代”と言われる現代において、キリスト教会の福音宣教はコロナとともに進め、わたしたち一人ひとりの生活も免疫力をアップし、より健康に生きることが求められています。まさに長寿・長命の恵みですね。
今から約2000年前、イエス・キリストの時代にも、たくさんの病(やまい)がありました。神のみ子イエスさまご自身は、癒しの賜物を持っておられたので、人々の病を癒すことがおできになりました。

その当時と異なり、現代では、イエスさまのように直接、癒しを施すことはできませんが、教会には癒しの賜物が与えられています。それは、現代病ともいわれるストレス、自己嫌悪や自責の念を背負って生きる人々に、「もう重荷を下ろしていい」と宣言される癒しの賜物と赦しに他なりません。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)。
イエス・キリストは、教会を通して、すべての人に招きのみ手を差し伸べておられます。さあ、あなたも、あなたのご家族も、イエス・キリストの招きに応えて、ご一緒にゆるしの賜物と救いをいただきませんか。

誕生会へお招き

幼子たちの誕生会に招かれた。 名前の由来やこの頃できるようになったことなど、 すてきな分かち合いをしていただいた。 それに、小さな口を合わせて歌う賛美と祈り、 どんなご馳走を盛大に準備して開かれる誕生会よりも満腹したとき…

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共存

冬の寒さがまだ残っているところへ、そっと、謙遜に入って来て、 凍えた大地を暖め、眠っていたものを目覚めさせ、 生きる喜びと希望を与えてくれた春がもう去ろうとしている。 春の終わりのぎりぎりのところで気づくこと、そっと寄り…

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波と私

親密な交友を楽しもうとするなら、 遠く離れていなければならない。 (ヘンリ・デイヴィッド・ソロー)。 目をつぶって波の音に耳を傾ける。 波は私の傍に、私の後ろにまで来て私を囲み、私を包み込む。 私は波と一緒になって風に揺…

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もてなし

森に行けばおおぜいの仲間に会える。 みんな孤高の存在だ。 (ヘンリ・デイヴィッド・ソロー) 久しぶりに訪れた新林公園。 道が草刈りをしてきれいに整えられていた。 まるで、私が来るのを知っていたかのように! お招きを受けた…

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大人

子どものときは自分が中心になる。 成長するにあたって、周りの人に気配りをすることを学び、 他者と共に生きるという素晴らしい社会性を学ぶ。 しかし、歳をとって大人になっても、 自分を導いてくれる上の存在を求めるもの。 死ぬ…

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存在者

私たちが神のことを考えない時があると言って、 神から嫌われていると心配しなくてはならないのでしょうか。 13世紀に生まれたラインラントのマイスター・エックハルトは次のように述べます。 「神に心を向けるとは、神について絶え…

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旧友

久しくあった友人と過ごす時間は、格別なとき。 積もり積もった話が絶えず、笑ったり、泣いたり・・・ 夜が明けるまで、調子にのって飲みすぎた(´;ω;`)ウゥゥ 今おられ、かつておられた方。 全能者である神、主よ、あなたに感…

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確信

愛し、愛されるということ。 それは、今、自分の前にいる人を愛せるかどうか、 その人を罪人のまま受け入れられるかどうかということ。 キリストは、今、このままの私を、 罪人のままの相手を受け入れられない私を愛してくださる。 …

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謙虚さこそ

自分が正しいと思って情熱を注ぎ、一所懸命にやったことが、 人を傷つけることになる場合がある。 助けてくれない人に「冷たい!」と思いつつ行ったことが、 やらない方がよかったことだったりする。 私が正しいと思って行うことと、…

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識別

理解できない相手を常識外れと思うのは、 自分が愚かだからだ。 なぜ私たちはいつも、認識力をもっと鈍いレベルに落とし、 それを常識として賛美するのか。 人の一倍半頭が切れる人を、 私たちは人の半分しか知恵のない人と分類する…

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