みこころの道へ

マルコによる福音書2章1節~12節

 新しい年が始まりました。今年はどのような年になるのでしょうか。日本の総理大臣が変わり、アメリカの大統領も変わります。
菅総理について、経歴を見ますと、あの大学が荒れていた時代に、秋田の農家から上京しアルバイトをしながら、法政大学法学部で学んだようです。わたしもその頃に同じ大学で学部が違うのですが、4年間を過ごしました。わたしの場合、自分の医療費と大学の費用は自分で払えというのが親の方針でありました。当時は大学紛争が激しい時代でキャンパスが封鎖されたこともありました。ゼミを大学の近くの喫茶店でしたこともあります。
菅総理はエリートではありませんし、安倍前総理のように身内に関係者もない、ごく庶民の一人であると言えます。また、アメリカのバイデン氏については、彼の半生を考えるとき、人の悲しみを知った方だと思いますので、この新しく決まった国の代表は信頼関係を築いていけるのではないかと期待しているのですが・・・・。
さて、イエスさまがお生まれになった時代について、聖書はヘロデ王の時代と記しています。ヘロデは王でありましたけれど、ユダヤはローマの支配下にありましたから、ローマから認定されて王になったということになると思います。見方によれば、ローマから認定されることは、大変なことでもあったのでしょう。
東方の博士たちがエルサレムに来て、「ユダヤ人の王として生まれたかたはどこにおられますか」と聞いています。ヘロデは真のユダヤ人ではありませんし、東方の博士たちも異邦人ですから、2章6節のミカ書を知らないのでしょう。
本日の箇所には占星術の学者が「ユダヤ人の王」としてお生まれになった方を拝むために東方から来たことが記されています。飼葉桶に寝かされたイエスさまではなく、それから時間が経過しているようです。家の中で母マリアといたイエスさまを礼拝したと聖書は語っています。ヘロデ王は自分以外の王が現れては困るのです。不安を抱いています。律法学者、祭司長を集めて調べました。マタイの福音者はミカに臨んだ主の言葉を取り上げ、ベツレヘムであることを記しています。そこからイスラエルの王が現れることを示しています。占星術の学者たちは信仰により、導かれ、礼拝するために向かいます。占星術の学者たちは信仰があったことが分かります。占星術とはと考えて、非科学的なことと考えるかもしれません。科学と占いが分離してなかったとも言えるでしょう。東方、ペルシャでその方の星を見たと言っています。彼らの信仰はどのようなところから始まったのでしょう。なぜ信じることができたか、ただ神様の霊によってとしか言えません。博士たちは星を見つけこの星の導きにより、幼子イエスさまに会うために、旅をします。ただ与えられた信仰により導かれたのです。占星術の学者がはじめてイエスさまを礼拝した姿がしるされています。学者たちは何人いたのでしょうか。記録がありません。黄金、乳香、没薬を献げます。黄金は王としてのしるしなのでしょう。乳香は祈りのため、神に捧げる香りの供え物なのでしょう。イエスさまを礼拝するための神聖な供え物でしょう。没薬はどうでしょう。遺体の腐敗を防ぐためのものであり、死者の葬りに使用されるものですけれど、イエスさまがわたしたちために死んでくださることを意味して博士らがささげたとは考えられません。ある資料によりますと、黄金、乳香、没薬は占星術で使用されたものだとも記されています。いずれにしましても、ただの土産ではなく、今、かれらが持っているもの、今、彼らができる精一杯の献げものを携え、すべてのものをイエスさまに献げるために、いまできる彼らのすべてを携えて遠くの東の国からやってきたのではないでしょうか。エルサレムに来て、尋ねます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と言いました。普通の星ではありません。動くのですから。祭司長たちや律法学者たちはミカ書を取り上げたのでした。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、私のためにイスラエルを治める者が出る。」いと小さき者であるけれど、お前の中からイスラエルを治めるものが出る。マタイによる福音書では、「お前から指導者が現れ、イスラエルの牧者となる。」と書かれています。
ヘロデ王は占星術の学者たちをベツレヘムへ送り出します。東方で見た星が幼子のところへと導きます。彼らはひれ伏して拝み、かれらの贈り物を献げたのでした。
その後ヘロデのところへ帰るなと夢でお告げがありましたので、別の道を通って自分たちの国へ帰ったと記述しています。
本当の神様に出会った彼らがその後どのようであったかはわかりません。マタイが示す、別の道がヘロデの道ではないことが分かります。すべてを神様にささげた彼らは彼らの生き方そのものが変えられたということは言えるでしょう。
イザヤ書には「起きよ、光りを放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。しかしあなたの上には主が輝き出で主の栄光があなたの上に現れる。・・・・・こうして主の栄誉が宣べ伝えられる。」と記されています。
すべての主にある者よ、悲しみから立ち上がりなさい。と呼びかけています。主に従うとき、不正なものは消えていくでしょう。
博士たちは精いっぱいの宝物を献げておがみました。それを主が受け入れてくださったのでしょう。彼らは全財産をささげたのかもしれません。
困難な旅を通してふさわしい道を見つけ、今度は星ではなく、主ご自身が光となり、彼らの道を照らしたことでありましょう。占星術の学者はヘロデの道を歩むことなく別の道をあゆむことができたでありましょう。主を拝んだ彼らは主にある者とされ、歩みが堅固になっていったことでしょう。神様のみこころに出会い、修正された新しい道を見出した学者たちは、真理の道を歩んでいったことでしょう。困難に出会うとき、その困難は目的をもって私に向けられているはずです。
わたし自身も責任ある行動、また、意見を述べるならば、責任を持って発言をしていきたいと思っています。
ヘロデの道ではなく、神様のみこころは何かを思いながら、人の言葉ではなく、みこころの道を歩んでいきたいと思います。
主に従うとき、主が永遠の光となるでしょう。主は愛されるがゆえに、わたしたちは主の厳しい鞭に出会うことがあるかもしれません。それはイエス・キリストが十字架で示された道でありましょう。本日与えられた、エフェソの信徒の手紙には次のように記されています。
「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」(エフェソ3:12)