2019年2月10日説教より
(創世記45:3~15、1コリント14:12~20、ルカ6章27~36節)
ヨセフは夢を見、夢を解く賜物をもっていました。彼は兄たちに見た夢について素直に話します。それは、父ヤコブと兄たちがヨセフに仕えるものになるという夢でした。ヨセフの話を聞いた兄たちは憤慨し、ヨセフを生意気なものと憎むようになります。結局、兄たちは野原に父の使いでやってきたヨセフを殺そうと企てはじめ、穴に投げ込みます。ヨセフは近くを通りかけたイシュマエルの商人たちに見つけられ、エジプトに売られていくようになります(創37章)。
本日の旧約聖書は、その兄たちとヨセフとの再会の場面です。エジプトに売られたヨセフはエジプトの宰相になっていました。夢を見て解くという賜物が彼を宰相の座へまで導いたのです。憎しいあまり殺そうと穴に投げ込んだヨセフが見つからず、獣に襲われたのだろうと思い父にもそう言って深い悲しみを抱かせた兄たちに、まさかヨセフがエジプトで宰相にまで就いているとは夢にも思いませんでした。
驚いている兄たちにヨセフは「命を救うために神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と、自分が殺されようとして穴に投げ込まれたこと、エジプトへ売られたことをそう受け止め述べます。何と美しいまとめ方でしょうか。すべてを神さまの導きのうちに見出す人の言葉。自分に与えられている賜物が神さまからのものであることを信じる人の言葉です。神さまの賜物の働きには、愛と赦しが含んでいる包含的で豊かなものであることを、ヨセフ物語は知らせています。
それは、神さまの賜物に生きる人のシンプルさ、単純素朴さです。人と難しい関係の中に置かれても、常に初心に戻り、執着せず自分を空っぽにし、相手の立場を理解して受け入れようとする人の姿。過ぎ去った歳月のあれこれを語らなくとも、たった一語の言葉で、相手の心の傷を癒し不安と恐れを追い出す力。
わたしたちは、必要以上に多くの言葉をもっています。過去の記憶に対する苛立ちやまだ来ていない未来に対する不安と恐れ、自分の思い通りに行かない相手への不平不満…一晩寝ないでも足りないほど頭の中のおしゃべりは限りがありません。ヨセフを憎み殺そうと穴へ投げ込んだ兄たちの心はずっとそうだったのでしょう。
賜物の故に生かされる!それ一つで良い!今日、神さまから「あなたに授けた賜物どうしたの?」と聞かれたらどう応えますか。これから捜しますか?神さまの賜物は自分自身の言葉を黙するときに現れます。私のものを奪い取った人を祝福するとき、まるで雪が溶けた土の中からいのちが芽生えるように静かに芽を出すのです。けれども、その新芽は、はかりも知れない力が宿っています。自分のいのちを奪おうとした人を赦し、養い、共に生きるという、平和を実現する大いなる力が。