聖霊降臨後第10主日 マタイによる福音書14:22~33
最近つくづく思うのは、僕は神さまの言葉によって励まされ、支えられ、助けられ、救われてきたということ。神さまのみ言葉によって生かされてきたし、生かされているし、これからも生かされていくのだ、ということです。
人間は生まれてから話し始めるまでに約8千時間もの間、周りの人の語る言葉を聞いて育つそうです。そして、その人の話す言葉の約8割が悲観的、否定的、絶望的な言葉だという話を聞きました。このことはつまり、私たちが生きている間に耳にする言葉の約8割は、悲観的、否定的、絶望的な言葉だ、ということにつながるでしょう。
確かに、学生のとき、自分の素行が悪いということもありましたが、学校の先生から肯定的な励ましの言葉や、前向きな言葉を聞くことはほとんどありませんでした。社会に出て働き始めれば、なお激しく、悲観的、否定的な言葉を多く浴びせかけられました、「ばか、ぐず、のろま」、「使えねぇなぁ」、「お前の代わりはいくらでもいるんだぞ!」と…。そして、現代社会はインターネット上で、SNS上で悲観的、否定的、絶望的な言葉が溢れかえっています。
生まれてから沢山の悲観的、否定的、絶望的な言葉を聞かされてきたら、私たち人間は悲観的、否定的、絶望的な言葉を口にするようになり、自分にも、他人にも、社会にも悲観的、否定的、絶望的になるような人間になりかねないのではないでしょうか。
では私たちが自分にも、他人にも、社会にも前向きで、肯定的で、希望的な言葉と、思いとで、生きるためにはどうすればいいのでしょか。それは前向きで、肯定的、希望的な、言葉を聞き、前向きで、肯定的で、創造的な存在と共に生きることでしょう。
つまり、神さまの言葉にいつも耳を傾けること、神さまの言葉であるイエス・キリストと共に生きることです。僕は神の言葉に救われた、支えられた、何度も助けられた、励まされ、慰められ、力と勇気と希望をいただきました。だから僕は、私たちは神さまの言葉に生かされているということができるんです。
いつでも神さまは前向きな言葉、肯定的な言葉、愛あふれる言葉で私たちを包み込んでくださる。神さまは言われます、「「わたしの目にはあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)」、「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神(イザヤ41:1)」、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。(マタイ14:27)」、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」。
私たちにいのちを与えられた神さまは、私たちを神さまの前向きな言葉、肯定的で、創造的で、愛に溢れた言葉で養い、育て、神の言葉と共に、イエス・キリストと共に生きる者であってほしいんです。そして、互いに前向きな、肯定的な、希望的な言葉を語り合い生きる者であってほしいんです。
今日の福音書で、イエスさまは弟子たちだけを舟に乗せ向こう岸しに行くようにさせました。イエスさまが傍にいなくても弟子たちだけで向こう岸に行くことができることへの前向きな、肯定的な、そして希望的な思いからであったに違いありません。なぜなら、イエスさまが傍にいなければできないようなことを、イエスさまが弟子たちに強いるはずがありません。神さまが選び、神さまが遣わす者であれば、必ず向こう岸にたどり着くことができるに違いありません。
初代の教会に対する風当たりはとても強いものがありました。激しい迫害があったし、差別やいじめがあった。それはまるで、激しい嵐の中の航海のような状態であったと思います。慌てふためくこともあったでしょう、右往左往し、あたふたし、ジタバタすることもあったでしょう。そんな時に彼らを支え、励まし、救った言葉。彼らの心を前向きにさせ、肯定的、希望的にさせたのは、あの時、主イエス・キリストが弟子たちに語った言葉であったに違いありません「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
逆風と波に悩まされ、前に進むことが困難な中にあった弟子たちの前にイエスさまは現れ、言われました「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と。おそらく逆風と波に悩まされたいた弟子たちは口々に悲観的、否定的、絶望的な言葉を言っていたかもしれない。しかし、主イエスは前向きで、肯定的で、希望的な言葉をもって彼らを励まし、勇気づけ、彼らの心を支配していた、恐れや不安、プレッシャー、ストレスを打ち砕かれるのです。
そして力を得た弟子のペトロは大胆不敵にも、「水の上を歩いてそちらに行かせてください」とまで言うようになるんです。これが神の言葉の持つ、すばらしく計り知れない力です。舟にいたほうが安心、安全に決まっている。だけどペトロはイエスさまの言葉に力づけられ、勇気づけられイエスさまの傍に行こうとするわけです。だけど、強い風に気が付いて怖くなってしまい、沈みかけ「主よ、助けてください」と叫ぶわけです。その声を聞いてイエスさまはすぐに手を伸ばしペトロを助け上げられました。もちろん、イエスさまは何が起ころうともペトロを助けるつもりでいたでしょうし、彼が傍まで来ていたとしたら、しっかりと受け止めていたのではないでしょうか。
どんなことがあってもキリストが受け止めてくださる。共にいてくださる。語りかけ、働きかけてくださる。だから私たちは安心してあたふたできる。安心してジタバタできる。
イエス・キリストを通して示された神さまの言葉、神さまの思い、神さまの愛を信じる、その信仰が、私たちの心を前向きなものとしてくれる。神さまの言葉を信じる、その信仰が、自分のことも周りのことも肯定的にとらえて、前進できるように背中を押してくれる。神さまの言葉を信じる、その信仰が、必ず向こう岸にたどり着けるという希望的な思いで私たちの心を力づけてくれる。
私たちはこれまでも神さまの言葉に生かされてきたし、これからも神さまの言葉に生かされていく。
私たちは、すばらしく計り知れない力を持つ神のことばにもっともっと耳を傾けて生きましょう。そして私たちはもっともっとイエス・キリストを通して表された神さまの限りない無償の愛を思い巡らしながら、互いに前向きで、肯定的で、希望的な言葉を語り合い、伝え合い、分かち合い、生きていきましょう。
人生の荒波や逆風の中であたふたして、右往左往して、ジタバタするようなときもあるでしょう。しかし、神さまが私たちと共にいて、私たちに語りかけ、働きかけ、励まし、助け、導き、必ず向こう岸にたどり着けるようにしてくださることを信じて生きましょう。
私たちは、主イエス・キリストのこの言葉を胸に、ここからまた新たな一歩を踏み出していきたいと思います。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない!」。