昇天主日 ルカによる福音書24:44~53
おはようございます。
私は、川崎元木ルーテル教会から参りました山口と申します。
今朝は、大宮シオンルーテル教会の愛する兄弟姉妹と、ご一緒に
主のみ言葉を聴く恵みに与りました。
いよいよ、来週は、ペンテコステ。
聖霊降臨を記念する礼拝です。
そこで今朝は、イエスさまが昇天なさる。その際に与えられた、聖霊が降る約束のみ言葉が与えられました。
この聖書の箇所をもって、イエスさまの地上生涯。終わりを迎えました。
しかしその働きは、弟子たちへと引き継がれました。
そして、今も、イエスさまを信じるすべての人。
クリスチャンたちによって、続けられています。
弟子たちから、次の世代。
また次の世代へと、2,000年に渡って、
引き継がれてきた聖なる務め。
今、皆さんの手にも、委ねられています。
この困難な時代にあって、何ができるのだろうか?
私たちは、無力さ。そして生活上の様々な不安を覚えています。
ですが、当時の弟子たち。
私たち以上に、行く手には困難が待ち構えていたんです。
しかし、彼らは、イエスさまの昇天の後。
大喜びした様子が、記されていますね。
彼らが、試練のただ中にあっても、喜べた。
その秘訣って、なんだったんでしょうか。
ご一緒に、探してまいりましょう。
十字架で死に、埋葬され、3日目に復活なさったイエスさま。
すぐに、天に昇られたのではありませんでした。
ご自分を信じる者たちの前に、お姿を見せてくださいました。
特に、40日の間、昇天のギリギリまで時間を使って、弟子たちを教え続けてくださったのです。
イエスさまの40日に渡る弟子訓練の内容をぎゅっと要約したもの。
それが、今朝の箇所です。
ルカ福音書24章44節にある、
《モーセの律法と預言者の書と詩編》
これは、旧約聖書全体のことです。
新約聖書、旧約聖書という区別の仕方。
これは、私たちのような、ユダヤ人以外の信仰者が使うものです。
ユダヤ人の方は、旧約聖書のことをヘブル語聖書と呼びます。
ヘブル語聖書は、大きくわけて、
律法、預言者または預言書、
そして、その他の書。諸書の3つからなっているとされます。
イエスさまが、地上を歩まれた様子は、新約聖書の、福音書に書いてあります。
ですから、『イエスさまの話と言えば、新約聖書』。
旧約聖書は、関係ないと、考えてしまいやすいのです。
ですが、旧約聖書と新約聖書。
両方合わせて完成された、神さまからの手紙です。
どちらか一方だけを読む。
それは、推理小説の前半だけ。あるいは、後半だけを読むことに似ているかもしれません。
イエスさまの登場は、旧約聖書の約束が土台となっています。
救い主、メシアが、いつ登場されるのか?
登場されたなら、何をなさるのか?
旧約聖書の中に、すべて預言されていました。
ですから、福音書を神さまの御心に従って理解する。
そのためにも、旧約聖書は、欠かせないものなんです。
ヨハネ福音書の中でも、(5:39)イエスさまは、こんな風に、言われました。
《あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。》(ヨハネ5:39)
イエスさまが、この言葉を語られた時。
新約聖書は、書かれていません。
ですから、イエスさまが言われた、“聖書”とは、
旧約聖書のことです。
イエスさまがなさった御業を見たり、教えを聞いたりする。
これを通して、
「イエスさまこそ、旧約聖書に書かれた約束のメシアなんだ。」
当時の人々は、そう、理解できたはずでした。
ところが、そうはならず、救い主を十字架につけてしまいました。
そうなった原因は、心の目が、閉じていたからです。
弟子達も、そうでした。
そこで、イエスさまは、聖書を教えるために、彼らの心の目を開いてくださったのです。
そして、旧約聖書の預言を用いて教えてくださったポイント。
それがメシアは、苦しみを受けるということ。
そして、3日目に死者の中から復活するということでした。
弟子達は、今、そのメシア預言が、イエスさまの上に、完璧に成就したことを目撃しているのです。
イエスさまは、イエスさまのみ名を信じることによって、罪の赦しが得られる方法。
救いの道を完成してくださいました。
次は、彼らが、その証人となって、福音を伝える役目を果たす番です。
ですが、イエスさまの十字架を前にして、逃げ出した彼らです。
復活の証人となる度胸なんて、あるのでしょうか?
あるはずがないことをイエスさまは、ちゃんとご存じです。
でも心配ありません。
神は、人に使命を与える時には、使命を果たす力を備えてくださるからです。
地上における最後の命令の中で、イエスさまは、その力を約束しておられます。
≪わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」≫
父が約束された高い所からの力。
これこそが、聖霊です。
聖霊が、弟子たちにくだるための条件。
それが、イエスさまの昇天でした。
いよいよ、その時が、やって来ました。
50節です。
≪イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで
連れて行き、手を上げて祝福された。
そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。≫
ベタニアは、エルサレムから、1キロ弱離れた村です。
その近くから、イエスさまは、父なる神さまによって、天にあげられました。
では、弟子たちは、この後、どうしたでしょう?
《彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。》
そうありますね。
3年半、寝食を共にしたイエスさま。
地上では、もう会えないのに、大喜びしているって、なんだか腑に落ちない気がします。
実は、イエスさまの昇天。
そして、弟子たちがイエスさまを礼拝した後、大喜びでエルサレムに帰った。
この二つの出来事の間に起ったことが省略されています。
実は、結構ショックを受けていたことが、ルカ福音書の続編。使徒言行録1章からわかるんです。
イエスさまが見えなくなって、茫然と天を見上げていた弟子たち。
そこに、ふたりの天使が、声をかけます。
≪「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。
あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」≫
これは、イエスさまの再臨の約束です。
イエスさまが、もう一度地上においでになる。
そして、今度は、苦しみを受けるためではなくて、王様として、支配してくださるために来られる。
この約束が、弟子たちに希望と喜びを与えました。
それまでは、イエスさまの命令に、なかなか従うことができずにいた彼らです。
もし、希望がないままだったら、故郷のガリラヤに帰ってしまっても、不思議ではありませんでした。
しかし、この時は、しっかりとイエスさまの言葉を守って、エルサレムに帰っていますね。
そして、神さまをほめたたえながら、聖霊がくだるのを待つことができたんです。
そしてペンテコステの後。
イエスさまを信じる人は、誰でも、内側に聖霊が住んでくださる。
そんな素晴らしい恵みが与えられています。
これは、旧約聖書の時代には、あり得なかったことでした。
だから、私たちも、内なる聖霊の導きに従って、御心のうちを歩むことが、可能です。
そして、イエスさまが、助けてくださいます。
地上での働きを終えたイエスさま。
今、どうしていらっしゃるんでしょうか?
「もうやるべきことは、やったから、後は、任せたよ。」
イエスさまは、そう言って、天で休息しておられるのでしょうか?
そうではありません。
イエスさまは、今も生きて、あなたのために働いておられるのです。
イエスさまが、今、おられるのは、父なる神さまの右の座である。
そう、聖書は教えています。
右の座。つまり、権威ある座。
ここで、イエスさまは、新しい働きをスタートされました。
それが、大祭司としての、お働きです。
皆さんは、父なる神さまに祈る時、いつも、
『イエスさまのお名前によって』祈っていますね。
その祈りは、確かに父なる神に、届きます。
イエスさまが、私たちと神さまとの、仲介者となってくださるからです。
そして、毎日、父なる神さまに、執り成しの祈りを捧げてくださっています。
このイエスさまの働きがあるからこそ、信仰者は、安心して、地上の人生を歩むことができます。
イエスさまは、私たちの弱さをよくわかってくださるお方。
その上で、弁護してくださるお方です。
私たちが捧げる祈りは、時に自己中心になったりと、欠けの多いものです。
ですが、イエスさまが清めて、整えてから、父なる神さまの前に届けてくださいます。
自力で、がんばって、力尽きることのないように、聖霊の力と、イエスさまの守りがあることをどうぞいつも、心に覚えてください。
イエスさまは、十字架によって。
そして、復活によって。
私たちに救いの道。
永遠の命への道を備えてくださいました。
それだけでなく、今回の昇天を通しても、素晴らしい贈り物を用意されたんです。
私たちに、いつでも、良いことだけをなさるお方。
私たちの最善を願うお方。
イエス・キリストという、ただひとりの救い主が、どんなお方なのか?
あなたの人生をどう変えてくれたのか?
皆さんと、この大宮シオンルーテル教会とが、その良き証人として、歩み続けてくださることを心から願っております。
お祈りしましょう。
天のお父さま
愛そのものである あなたのお名前をほめたたえます。
あなたの招きによって、今朝も、この場に集められ、礼拝を捧げるチャンスをいただきました。
恵みを受け取った者として、感謝をもって、あなたにお仕えすることができますように。
特に、この大宮シオンルーテル教会を顧みてください。集われた兄弟姉妹を あらゆる災いから守り、豊かに祝福してくださいますように。
不安が取り巻く世界に生かされた。
その信仰者のひとりとして、それぞれに、あなたからの使命が与えられています。
聖霊なる神さまの導きと力によって、その使命を果たすことができますように。
そして、喜びをもって、ペンテコステの日。
再び、この場に集い、あなたを礼拝させてください。
私たちの大祭司。救い主キリストのみ名によって祈ります。
アーメン