議長だより(教会だより2024年7月号)
2024.7.10

 古来より教会は舟に譬えられてきました。マルコ4章35節以下には、主イエスが弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と呼びかけ、弟子たちが舟を漕ぎ出したとあります。このとき主が示された「向こう岸」とは、弟子たちから見れば異邦人の地、未知の場所でした。その「向こう岸に」向かって、これから夜の帳が下りて見通しの利かなくなる湖上を「渡ろう」と主がおっしゃったので、弟子たちは主を乗せた舟を漕ぎ出したのです。

 ところが、間もなく激しい突風が起こり、舟は波をかぶり、水浸しになります。転覆、沈没の恐れにとらわれ、まったく余裕を失って慌てふためく弟子たちの危機的状況。しかし、その最中、なんと肝心の主は枕して眠っていた…。ありえない!と思います。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか!」。「おぼれる」と訳される言葉は「滅びる」という言葉です。「わたしたちが滅びてもかまわないのですか」と弟子たちは訴えたのです。主は起き上がって風をり、湖を静めて言われます。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

 この出来事は私たちに何を告げるでしょうか。今の私たち教会にとって「向こう岸」とは何なのか。「向こう岸に渡る」とはどういうことなのか。そこで遭遇することになる嵐の只中で依るべきもの、見失ってはならないことは何なのか。主が主導し、主の目的に向かって、主と共に進みゆく教会として、共に主の言葉に訊いていかなければなりません。

江本真理