議長だより(教会だより2024年12月号)
2024.12.17
12月に入り、主の降臨を待ち望むアドヴェント(待降節)の期節を迎えています。主の降臨ということには二つの意味があると言えます。一つは、救い主イエス・キリストがこの世にお生まれになったというクリスマスの出来事です。そしてもう一つは、そのキリストが再び来てくださるという、主の再臨を待ち望むことでもあります。
「マラナタ」という言葉があります。これは主イエスの時代のユダヤ人たちが話していたとされるアラム語ですが、そこには二つの意味があるとされます。アルファベットで記すと「MARANATHA」という綴りになるのですが、この言葉を「マラナ・タ(MARANA・THA)」と読むと、「主よ、来てください」という意味になり、他方、「マラン・アサ(MARAN・ATHA)」と読むと、「主は、来てくださった」という意味になります。初代のキリスト者たちが「主よ、来てください」との祈りによってその再臨を待ち望んだ方は、確かに「来てくださった」方でした。神はクリスマスの出来事を通して、「インマヌエル(神は我々と共におられる)」の恵みを明らかにしてくださったのです(マタイ1章23)。
私たちも今、「マラン・アサ」と「マラナ・タ」との間の時を生きています。「主は来てくださった」と「主よ、来てください」との間を生きる私たち一人一人に、このクリスマスを通して「インマヌエル(神、われらと共に)」の恵みがいっそう豊かに、確かにされますよう祈りを合わせます。
江本真理