議長だより(教会だより2025年4月号)
2025.4.16

 ドイツ語で「Beruf(ベルーフ)」という言葉があります。ふつう日本語では「職業」と訳される言葉です。

 今から500年前の宗教改革者マルティン・ルターは、人にはそれぞれ「神から与えられた使命、神から与えられた職業=神に召された働き」があり、それを発見することが喜び(ひいては救い)だと気づかされ、このことをルターは「Beruf(ベルーフ)」と呼びました。英語で「Calling(コーリング)」。日本語にすると「召し」「召命」「天職」となります。

 そして、ルターが「Beruf」(神からの召し、召命、天職)と言うときには、何か特別の仕事や働きのことだけを指すのでなく、「それぞれの仕事がどんなにこの世的にはつまらない仕事にみえても、あるいは、家事や子育てのような一見地味に見える日々の営みであっても、それに愛をもって関わることが、神の召しに仕えることになる」と言うのです。

 どんな仕事や働き(Beruf)であっても、そこに「神の召し(Beruf)」を受け取ることができるならば、それは喜びとなります。人生に意味と希望を見出すことになります。「神が前もって準備してくださった善い業のために」(エフェソ2章10節)神さまによって造られ、命を与えられ、生かされている者として、「その善い業を行って歩む」人生の幸いを味わい知るのです。

 イースターを迎える私たちは今、一人一人がこの「神の召し(Beruf)」に生かされ生きる者であることを覚えて踏み出したいと願います。

江本 真理