キリストの心(教会だより2022年10月号)
2022.10.21

『うぬぼれない』
ローマ12章12節

 教会の庭で、花が枯れたままの紫陽花が目に留まりました。庭木の手入れは経験がなかったのですが、昨年、きれいに剪定された株をよく見ていたので挑戦です。やってみると最初は慎重に使い始めたはさみも、予想以上の切れ味の良さに、だんだんと調子が付いてきました。ばっさばっさと葉の茂った枝を切り落としていきます。そして、すっかり小さくなった紫陽花が、ちょっと寂し気でしたが、「だいじょうぶ、去年も確かこんな具合だった」と、一気に残りの株も仕上げました。

 終わってみると、剪定が意外に簡単なことに自信を得て、大量の枝を片付けるのは面倒でしたが、気分は爽快です。心地よさの中で、私はある感慨に浸っていました。「新発田教会に赴任して4年目。やっと、草木にもこうして心を向ける余裕が出てきたのかもしれない。それは、私も少しは成長しているということかなあ…」。しかし後日、この紫陽花は枝を切り過ぎて来年は花が咲かないと聞きました。余計な事をしてしまったと知って、がっかりです。

 調子のよい時は勢いもあり、自信とともに物事が前へと推し進んでいくように感じます。でもそんな時こそ、自己満足や勝手な思い込みに、よくよく注意しなければならないと思います。自分の成長の証など、探している場合じゃなかったですね。

(新発田ルーテルキリスト教会牧師 中川祐子)