キリストの心(教会だより2024年8・9月号)
2024.9.10

心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る

マタイ5章8節

 イスラエルの民は自分を清く保つよう努めました。神のみ前に出るためです。イエスさまに倣って、私たちも「心の清い人」になりたいと思います。それで、私たちは毎週の礼拝で「神よ、私のために清い心を造り、私の内に新しく確かな霊を授けてください」(詩編51編12節、協会共同訳)と歌い、祈り求めます。

 自らを省みるならば、私たちは決して清い者ではありません。せめて人に見える外面は取り繕って清く見せようと努めますが、誰も心の内面まで清い者になることはできません。
そのような私たちを、イエスさまが十字架の苦しみと死と復活の恵みによって招き、心をまっすぐに神に向けて「罪人のわたしを憐れんでください」(ルカ18章9~14節)と祈る清い心を造ってくださる、つまり悔い改めを与えてくださるのです。

 罪人である私たちは、この悔い改めなしに神のみ前に出て礼拝をすることはできません。しかし神はイエスさまの恵みによって私たちをその悔い改めへと導いてくださいます。ですから、私たちは自分の罪や汚れにもかかわらず、神の憐れみと赦しを祈り願う、つまり悔い改めて神のみ前に出ることができるのです。そしてそこで、私たちのために十字架の苦しみと死とを引き受けてくださった恵みの神を見る幸いに与かるのです。

(西東京ルーテル教会牧師 高野 公雄)