心を地に留めるな

きょうは、教会の暦で、イエスさまが天に帰られた、天に昇られたことを記念する日曜日です。しかし、復活祭、クリスマス、聖霊降臨祭と、教会では特別にお祝いするのですが、プロテスタント教会では、ほとんど、昇天日を意識して守ることはありません。日本のルーテル教会でも、あまり関心はありませんね。ただ、聖書日課が確定されて、主の昇天日、昇天主日が記されているので、説教のときに取り上げるだけのようです。
ただ、カトリック教会などでは、伝統的に、盛大にお祭りがなされるようです。カトリック教会が強いドイツ南部に留学した日本人牧師が、のぼりを掲げて、白いガウンをまとった子どもたちを従えて、祭服を着た司祭さんが先頭に立って町の中を練り歩く行列を見て、それも盛大な昇天日のお祝いだと知って驚いた話があります。
しかし、わたしたちが信仰を告白する使徒信条には、はっきりと、復活したキリストは「天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまえり」とあります。ですから、お祭りとはしなくても、イエスさまの昇天はクリスチャンの信仰にとって大切な出来事だと、しっかり受けとめなくてはなりません。

昇天の出来事
イエスさまは十字架にかけられ、死んで墓に葬られ、三日目に復活しました。復活したイエスさまは、四〇日間、あちこちで弟子たちに甦った姿を示され、最後は弟子たちの目の前で天に向かい、雲に囲まれて見えなくなりました(使徒言行録一・三ー九)。
きょうの福音書の箇所は、ルカ福音書二四章四四節からですが、イエスさまは、エルサレム郊外の丘、ベタニヤで、弟子たちに祝福を与えながら、天に昇られました。その意味は、イエスさまは、神が人間の救いのために人の姿をとり、十字架の死を遂げ、墓に葬られるという、徹底した人間そのままの有様をとり、弱さ、痛さ、苦しさを味わい、さらに人々から侮辱され、神からも見捨てられた思いで、人間としての生涯を終わったということです。
しかし、イエスさまは神ですから、神さまの輝く姿に戻られたのです。天に戻り、輝く神の座にすわられたのです。ところが、イエスさまが復活されても、弟子たちは、どうも人間に生き返っただけ、この世への復活だけだと受け取り、天のことはは考えていなかったような感じです。それで、四〇日間、イエスさまは弟子たちに、聖書のことや、これからのことを教えて、復活は天への復活、神の国への帰還だと示されました。

天に上げられた
イエスさまはどのようにして天に昇られたのかと考えてみました。羽が生えて、ふわふわと空に上がったのか。ロケットのように、すごい推力で飛んでいったのか。しかし、聖書を読むと、「天に上げられた」と受け身で書かれています。自分で飛んで行ったのではない。きっと、天使たちがイエスさまを支えて天に運んだのでしょう。イエスさまは雲に包まれました。雲に覆われるのは、聖書では、神さまの臨在のしるしです。神さまであるイエスさまを、天使たちは天に迎えたのです。
私たち夫婦は、二年前まで、あちこちの教会へ説教と奏楽で行っていました。ある教会に、高齢の男性がいました。もう資産の整理も何も、みな終わって、遺言書も書き、終活完了。あとは天国に行くだけだが、どうしたら行けるかと、生き方をわたしに問うのです。天に行くにはまず死ぬことがさきですねと、わたしが言うと、その人はむっとしました。
わたしは、イエスさまだって天国に行くのに自力で行こうとされなかった。まして、わたしたちは連れて行ってもらえるのです。クリスチャンであるあなたの場合、イエスさまご自身が迎えに来てくださるでしょう。安心して、信じてお待ちなさい。いまは、あなたはこの教会の唯一の男性ですから、牧師さんを助けて教会を守ってくださいと。
マルティン・ルターに、次のような言葉があります。
キリスト者は、神から来て、神の許へ行くのである。それにもかかわらず、すべてのアダムの子らと同様に死んで、死の苦しみをしなければならないので、死の前に少しは恐れるのである。わたしは生きる。神がお望みのかぎり。わたしは死ぬ、神がお望みのときに。お望みの姿で。わたしは進む。そして、どこへ行くかを知っている(一五三四年の説教)。

心を地に留めないで
わたしの母は、百歳と四カ月で亡くなりました。常々、死ぬのは天国に行くのだから怖くない。だけど、死の際(きわ)に痛かったり苦しかったりするのはいやだなと言ってました。わたしは、「いまは医学が発達していて、体の痛みはほとんどないよ」と、見当はずれの慰めを言っていたのです。
それは、母が九十六歳のとき、次男が六十五歳で肺がんで死んだのです。母は熊本、次男は福岡に住んでいました。男兄弟四人でしたから、残された三人で相談し、母にはショックだろうし、福岡まで葬儀に出てくるのは大儀だろうからと、知らせないで万端終わらせました。
さて、いつまでも黙っているわけにもいくまいと、末っ子のわたしが母に告げる役目を仰せつかりました。東京にいたわたしは、二年ほどして熊本の母を訪ねました。会うなり母は、「わたしは幸せもんたい。こうして、男兄弟四人が元気にしとるけん」と言います。その途端、わたしは、母に次兄の死を告げることができず、東京に戻り、やがて母の死を迎えたのです。
そのとき、わたしは、母が死のときの痛みを恐れたことを思い出しました。重い病気を経験したこともある、転んで大腿骨骨折をしたこともある母が、死の時に痛みがあっても、苦しくても怖がるはずはない。母は、死のときの苦痛のことでなく、長く訪ねて来ない次男のことを心配していたのです。息子に会ってから死ねたらいい。天国に向う母を、地に引き留めようとしたのは、次男への思いでした。わたしは、母にはっきりと告げなかったことを悔いました。
次兄が母に先だったことを聞いていれば、母は、天国に向うのをためらわずに喜んだことでしょう。天国に行くのに、「地上に心を止めないで」というのが、そこでわたしが学んだことです。イエスさまも、昇天される前に、弟子たちに聖書のことを教え、聖霊をご自分の代わりに下して、すべてを委ね、地に思い煩いを残さず、天に上げられたのです。みんなのことを忘れずに覚えている。しかし、聖霊に守られているから大丈夫だと確信しておられるのです。

エルサレムの神殿に行く勇気が与えられた
イエスさまの昇天の後、弟子たちは、エルサレムの神殿に集まって、神さまを賛美していたとあります(ルカ二四・五三)。驚きです。イエスさまが死刑にされた後、弟子たちはユダヤ人を恐れて、一軒の家に隠れ、カギをかけてひそんでいたのです。復活のイエスさまが来られた時も、恐怖におののいていたのです。
イエスさまの昇天に立ち会ってはじめて、エルサレムの神殿で待つ。もう、ユダヤ人を恐れない、勇気にあふれたのです。弟子たちは、イエスさまを救い主と改めて信じ、また、イエスさまから大切な使命を与えられて喜んだのです。わたしたちも、イエスさまの昇天を信じ、喜び、勇気、元気、気力をいただきましょう。ルターのように、神さまのおゆるしのあるかぎり、生きぬきましょう。