愛と力とを受けて

今年はイースターもそしてペンテコステの礼拝もオンラインで、つまりインターネットによる礼拝動画配信によって、または説教原稿を郵送やFAXすることによって共に与ることになりましたので少し残念に思います。しかし、神さまのこの世界と私たち一人ひとりに向けられている、注がれている、愛と、恵みと、祝福とはオンラインであろうが、オフラインであろうが関係ありません。神さまが私たちに与えてくださった聖霊によって神と私たちが繋がっている、「聖霊ライン」によって(「聖霊ライン」とはオンラインにかけて、私が作った言葉です)、神さまは私たちの心に愛と恵みと祝福とを注ぎ続けてくださる。
神さまのこの世界と私たち一人ひとりに向けられている、注がれている、愛と、恵みと、祝福とは、この世の何ものにも、誰にも、コロナウイルスにも、制限されたり、制約されたり、限定されるなんてことはありえません。今日も神さまは、この礼拝を通して、私たち一人ひとりの心に尽きることのない、渇くことのない、限りない無条件の愛を豊かに注ぎ、届け、与えてくださいます。
「ペンテコステ」という言葉はギリシャ語です。日本語に訳せば「50日目」ということです。イエス・キリストの復活の出来事から50日目に、イエスさまが弟子たちに約束していた聖霊降臨の出来事が実現したということを教会は記念し、神さまの御名を褒め称え続けてきたわけです。
みなさんもご存じのように聖書には神さまの約束の言葉は、ことごとく実現してきたことが記されてあります。そしてイエスさまが弟子たちに約束した聖霊も確かに弟子たちのもとに遣わされ、イエスさまが弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける(使徒1:8)」と約束されていた通りに、弟子たちの上に聖霊が降り弟子たちは神からの力を受け、大胆に、力強くイエス・キリストを証しし、神の愛を世界中に伝えていったのです。そしてこれからも神が遣わされた聖霊の働き、導きによって、この世界と私たち一人ひとりに向けられている神の熱い思いと、限りない愛とは証しされ続ける、語られ続ける、伝えられ続けるのです。なぜなら、神はその独り子をお与えになったほどに、この世を愛されているから(ヨハネ3:16)です。
イエスさまが十字架につけられるときには見捨てて逃げ、復活したと聞けば疑い、自分たちにも身の危険が及ぶのではないかと恐れ、閉じこもっていた弟子たちが、大胆にイエス・キリストを証ししていったという変貌ぶりには驚かされます。
聖書を見れば、復活したイエスさまは、不安や恐れ、疑いを抱く弟子たちに40日にも渡って姿を現し、ご自身が生きていることを数多くの証拠をもって示し、神の国について話されたということが記されてあります(使徒1:8)。とことん彼らに向き合い、とことん彼らに語りかけ、働きかけ、愛する主イエスの姿があります。
人間は揺らぐものです。迷うこともあるでしょう。疑うこともある。ときに私たちの信仰は、揺らぐようなことも、迷うようなことも、疑うようなこともあるでしょう。しかし、神さまの私たちに向けられている思い、神さまの私たちに向けられている愛は、決して揺るがないし、迷わないし、疑いもない。神はイエス・キリストを通して揺るぎない徹底的で、圧倒的で、限りない愛をはっきりと、しっかりと、弟子たちに、そして私たちに示してくださいました。
イエスさまは、弟子たちの傍から離れ、天に昇られるまで決して変わらぬ愛を弟子たちに注ぎ続けました。そして50日目にイエスさまが弟子たちに宣言し、約束していた聖霊降臨の出来事が起きたわけです。弟子たちはこの出来事を通してさらに主イエスへの信頼、信仰が固いものとなったでしょう。主イエス・キリストの言葉、神の言葉は必ず実現すること、神のこの世界と私たちに向けられているまなざしと、愛とは決して変わることも、消え去ることはないという確信は弟子たちの心に大きな力と、勇気とを与えたに違いありません。
イエス・キリストが弟子たちに語り、約束していた聖霊は確かに降り、弟子たちは力を受け、イエス・キリストの十字架と復活の出来事を人々に証していきました。すべては神のみ心であり、神のこの世界に向けられている愛と、神の力によって成されてきたことです。弟子たちの能力や努力や力だけだったら、ユダヤ全土はおろか、エルサレムの町の中でさえも福音を広めることはできなかったでしょう。神さまのみ心、神さまの力、神さまの限りない愛がなければ、遠く離れたこの日本でイエスさまのことを、神の福音を私たちが耳にするなんてことはありえなかったでしょう。
揺るぐこともない、尽きることもない、渇くこともない神の力、神の愛が聖霊によって弟子たちの心に注がれ続けることで、イエスさまが弟子たちに「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる(使徒1:8)」と言っていたことが実現したのです。
主イエス・キリストの約束の言葉は、弟子たちを、そして教会を今の今まで力づけ、勇気づけ、希望を与え続けてきました。そしてこれからもキリストの教会を、私たち一人ひとりを力づけ、勇気づけ、希望を与え、いのちを与え続けるでしょう。
主イエス・キリストは約束しました「あなたがたをみなしごにはしておかない(ヨハネ14:18)」と。キリストは宣言したのです「わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者は死んでも生きる(ヨハネ11:25)」と。イエスさまは言いました「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる(マタイ28:20)」、「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる(ヨハネ7:38)」と。
私たちは、主イエス・キリストの言葉は必ず実現する、私たちのためにご自身のいのちを差し出すことを厭われなかったイエス・キリストの約束の言葉は、必ず成し遂げられることを信じて、キリストの言葉を心に留めて、生きる力と勇気と希望とをいただきながら、これからも主と共に、み言葉と共に生きていきましょう。
この世の何ものにも、誰にも、コロナウイルスであろうとも、たとえ死であろうとも、私たちの心に注がれている神の愛と力とを妨げることも、取り去ることも、消し去ることもできません。神は、私たちにこれからも聖霊によって語りかけ、働きかけ、心に愛を注ぎ続け、力を与えてくださいます。私たちが心揺らぐようなときには共にいて支え、迷うような時には共にいて導き、疑うような時にも共にいて励まし続けてくださるでしょう。
今また、聖霊によって皆様の心に神の愛と力とが豊かに注がれていることを信じます。今日から始まる聖霊降臨後の期節も、神の力に信頼し、期待し、神の限りない無条件の愛を信じて、神にすべてを委ねて、活き活きと、伸び伸びと、いのちを輝かせて生きていきましょう。