聖霊降臨後第12主日 マタイによる福音書16:13-20
先週、静岡に住んでいるという方から相談の電話がありました。相談の内容は「どの教会にも自分の居場所がない」というものでした。
聖公会の教会で洗礼を受け、礼拝に出ていたのだけど、しばらくして教会に来ないでほしいと言われたそうです。そして、次に基督教団の教会に通い始めたら、そこでも来ないでくれと言われた、と言うんです。電話口の方に何か問題があるのかなと、思っていたら、その方がこう言ってきました、「私は発達障害と、性同一性障害を持っているんです」と。「礼拝中じっとしていることが難しいので、みなさんに迷惑をかけてしまう」ということ、「性同一性障害であることを悪いことだと裁かれてしまった」ということを話されました。そして、「ルーテル教会にも行ったのだけれどそこでも居場所がなかった」と言っていました。
一方的にその方の話だけを聞いて、教会側の話を聞いていないので何とも言えない難しい問題だと思いました。ただその方は洗礼を受けているし、教会に繋がりたい、神さまと繋がって生きていたいという思いがあるから相談してきたということを受け止めて、僕はその方にこう伝えました、「○○さん、神さまはあなたを選び、あなたを招き、あなたを認めている。神さまにとってあなたは価値ある尊い特別で、大切な存在です。神さまはあなたを愛しています。神さまの○○さんに向けられている限りない無条件の愛を信じてください。僕は○○さんのために祈りますね」と。
もしかするとこれからも教会に居場所が見つからないかもしれない。だけど、はっきりといえることは、神さまはその方のことを決して見捨てないし、見放さない、見限らない。そして、その方のことを思い祈っている牧師がここに一人いるということです。発達障害、性同一性障害、どのような障害であろうとも、この世の誰にも、何ものにも神さまの私たちに向けられている愛を妨げることも、消し去ることも、奪い去ることもできない。
私たちは決して一人じゃない。神さまはイエス・キリストをとおして私たちとしっかりと繋がり、私たちに天の御国へと繋がる愛の鍵を渡されたのです。
今日の福音書のキーワードはまさしく「鍵」ということだと思います。みなさん家の鍵を持っておられると思います。みなさんは家の鍵を誰にでも渡しますか?どうでもいい人に渡しますか? 私たちが誰かに家の鍵を渡す時、渡してもいい人を選び、良しとした人、認めた人に鍵を渡すのではないでしょうか。そして家の鍵を渡す相手と一緒に居たい、一緒に過ごしたいという思いがあるから渡すのではないでしょうか。
神さまは私たちにいのちを与え、イエス・キリストを与え、天の国の鍵を与えてくださいました。このことは、神さまが私たちを選び、招き、受け止め、大切に思っているという確かで、揺るぎない福音宣言です。
弟子のペトロはイエスさまから天の国の鍵を授かりました。天の国の鍵ですからそれはそれは大切なものです。イエスさまはその天の国の鍵を弟子のペトロに授けるわけです。
どうしてペトロがイエスさまから大切な天の国の鍵を与えられたのか、それはペトロが優秀だった、家柄がよかった、障がい者でも、病気持ちでもないし、人一倍敬虔で、誠実で、潔白なものであったからではありません。ただただイエスさまをメシア、キリストであること、救い主であることの信仰を告白したことから、天の国の鍵は与えられたのです。
イエスさまは言います「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と。すべては神さまからの一方的な働きかけであり、神さまからの愛と、恵みと、祝福の業によるものであり、神さまがペトロを選び、招き、認め、愛して天の国の鍵を与えてくださったのです。
このときイエスさまがペトロに向けて語られた言葉を今この時、そっくり、そのまま、みなさんに向けられている福音の宣言として受けとめてください。「シモン・バルヨナ」と記されているところに皆さんの名前を入れて読んでみてください。私であれば「笠原光見、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」。そうです、すべては神さまが私たちに語りかけ、働きかけ、イエス・キリストを現わし、イエス・キリストを信じる者として導いてくださったのです。
みなさんは幸いです。神さまがあなたを選び、あなたを招き、あなたを認め、あなたのすべてを受け止め、愛し、キリストを現わし、キリストと固く、強く、確かに結び合わせてくださったのです。そして、神さまはイエス・キリストを通して、この教会を通して天の国の鍵を私たちに与えてくださったのです。
イエスさまから天の国の鍵を与えられたペトロと弟子たちの群れは教会という共同体となり、大切な使命を果たしていくことになったわけです。そしてペトロたちは教会に集うすべての人に福音を告げ、すべての人にイエス・キリストの救いを語り、すべての人を天の国へと招いたのです。そして初代教会に集まった人々はイエス・キリストを通して現された神さまの限りない無条件の愛、永遠のいのちの約束、そして天の国に招かれている喜びに胸躍らせ、心振るわせ、夢中になり、とらわれていることから解放され、幸せを噛みしめ、喜びと、感謝と、賛美とに溢れていたのだと思います。
神さまがイエス・キリストを通してこの世界と、私たち一人ひとりに現してくださったことに感動、感激、感謝の思いが湧くのは当然のことでしょう。
神さまから豊かに注がれている愛と、恵みと、祝福とにみんなが胸躍らせ、共に喜び、共に涙し、共に祈り、共に生きるのが教会の姿でしょう。今の私たちの教会はどうでしょうか。そして私たち自身もどうでしょうか。私たちの教会も、そして私たち自身も、もっともっとイエス・キリストの福音に胸躍らせ、夢中になって、ドキドキして、わくわくして、興奮して、喜びをもって教会に集い、讃美と礼拝をささげて、すべての人に天の国の扉が開かれた教会でありたいです。
今、この礼拝を通して神さまはみなさんに福音を宣言し、神のみ心を現してくださいます。みなさんは幸いです!神さまがあなたを選び、あなたを召し、あなたを受け止め、あなたを認め、あなたにみ子イエス・キリストを与え、天の国の鍵を与えてくださいました。
私たちは、私たちにいのちを与え、イエス・キリストのいのちも与え、永遠のいのちの約束も与え、天の国の鍵を与えてくださった神さまを信じ、すべてをゆだね、すべてを託し、任せて、穏やかに、和やかに、平安のうちに生きていきましょう。
そして、私たちの教会がすべての人に開かれ、すべての人の居場所となれるよう、共に祈り合い、共に仕え合い、共に成長していきましょう。