全幅の信頼

聖霊降臨後第3主日 マルコによる福音書4:26~34

 先月5月26日に、今年一番大きく見える満月「スーパームーン」を見ることができました。「きれい!」の一言です。
地球と月との距離が一番接近した日であったので最大の満月を見ることができたということですが、もしも月に誰か住んでいて地球を見ていたら、最大の満月ならぬ最大の満地球「スーパーアース」を見て「きれい!」と言ったのではないでしょうか。
私たちの生かされているこの世界と全宇宙の関係は絶妙なバランスと秩序、驚くべき調和のうえに成り立っています。聖書は私たちの生きる世界のすばらしいハーモニーを創りあげたのは神さまなのだと示します。
人類がどれだけの知性と科学をもってしても解明できないでしょうし、造り出すこともできないであろう全宇宙の秩序と調和を創造された神さまの業を前にして誰もが「きれい!」だ、と口々に言ってしまうのも当然のことでしょう。
そもそも神さまは、ご自身が創造された世界をご覧になって「極めて良い(創世記1:31)」と言ったと聖書は言っていますから、神さまの被造物である私たち人間が、神さまの思いが形になっているこの世界の神秘を目の当たりにして感動することも、圧倒されることも当然のことだと思うのです。
そして、神さまによって創られたこの世界の絶妙な秩序、バランス、調和の中で私たち人類は生かされているのだということを、神さまに与えられた自分の体を観察してみても思わされます。ひとりでに心臓は動いているし、呼吸もしている。自律神経も、自己免疫も体のあらゆる機能も私たちが寝ていようが起きていようが関係なく働き続けているわけです。
神さまはいのちあるすべてのものが、神さまに全幅の信頼を置いて、神さまが創りだしたこの世界といのちあるすべてのものとの絶妙なバランスと秩序と調和の中で、安心して平安のうちに生きてほしい。神さまに全幅の信頼を寄せて、秩序を守り、バランスを保ち、神さまとこの世界と、いのちあるものとの調和を大切に、平和、平安の中で生きるものであってほしいのです。
しかし、人類は神さまに背を向け、自分たちのエゴと欲望のままに、秩序を破り、バランスを壊し、調和を乱すような目に余る横暴によって世界もいのちあるものも深い傷を負うことになりました。
人類は欲望を満たすために大気を汚染し、土壌を汚染し、海洋を汚染し、さらには宇宙にまでごみをまき散らすことで、美しい地球と多くのいのちが悲鳴を上げているにもかかわらず、さらに自分たちで自分たちの首を締めあげようとしている現実があります。私たちの住むこの地球は近い将来、気候変動と気温上昇とで暮らしていくことが困難になるであろうという学者たちの報告が多く出されていることも事実です。
誰でも愛してやまない、大切なものを守りたい、助けたい、救いたいと思うものだと思います。神さまは、極めて良いと絶賛し、愛してやまないこの世界と私たち人間をどうにかして助け、守り、救いたいという尽きることのない熱い思と、愛を預言者の口に託しました。
神さまは何千年も前から預言者の口を通して、神さまの方へと向き直るように「立ち帰れ。立ち帰れ。立ち帰れ。(イザヤ44:22、エゼキエル33:11等)」と語り続けています。そして神さまが創られたすばらしい秩序を守り、バランスを保ち、調和を大切にして、神さまに全幅の信頼を寄せながら、主の御心と、愛と、平和の中で生きることへと私たちを招き続け、叫び続けています。
そして、ついに神さまはこの世界の歴史のただ中に、神さまご自身の言葉であり、思いであり、愛そのものであるみ子イエス・キリストを与えてくださいました。神さまは私たちのことをどうでもいい、どうなってもいいなんて少しも思っていない。歩むべき道を誤り、迷い、苦しむ私たちを、進むべき道へと導き戻すために、「道であり、真理であり、いのちである(ヨハネ福音書14:6)」と言われるイエス・キリストをこの世界に与え、私たちを、愛と、平和と、希望と、いのちの源である神さまのもとへと招き続け、働きかけ続けるのです。
イエスさまは弟子たちに種のたとえを話し、蒔かれた種にしても、種がまかれた土地にしても、その種が結ぶ実を受けるものたちも、すべて神さまの創りあげたいのちのすばらしい秩序、絶妙なバランス、雄大な調和の中で生かされていることに目を開かせようとします。そして、その秩序、バランス、調和を無視し、不協和音を鳴らし続けるならば、被造物であるすべてのいのちあるものと私たち人間が悲鳴を上げることになるのは必然なのだということです。
神さまは、愛するかけがえのない尊いいのちの存在が、神さまの奏でるすばらしいハーモニーの中で、キリストによって示された神さまの熱い思いと、尽きることのない愛と、希望と、いのちとに全幅の信頼を置いて、平安のうちに生きるものであってほしいのです。
イエスさまが語られたからし種のたとえは、この世界と私たちに向けての希望の福音宣言です。からし種のように小さな小さな種が、蒔かれて成長するとどんな野菜よりも大きくなる。小さな小さな種が大きな大きな実を結ぶという可能性を秘めているのだと言います。
小さな私たちも神さまが与えてくださったみ言葉と、み恵みと、み霊による実を結ぶ大きな可能性を秘めている。神さまの創りだした調和の中で、神さまとこの世界と、そして私たちの調和を大切にして生きるとき、いのちあるものが安心して身を寄せることのできるような大きな枝を張るものへと成長し合える。たとえどんなに小さな働きでも、どんなに小さな一歩でも、どんなに小さな祈りでも、私たち一人ひとりが神さまとこの世界と、繋がりある人との調和を大切に思うその一歩が世界を変え、神さまが「極めて良い」といわれた愛してやまない世界をとり戻していくことにつながるでしょう。
私たちにいのちを与え、生きるに必要なすべてを与え、み子イエス・キリストのいのちをも与えてくださった神さまは、これまでも、そしてこれからも、神さまと、この世界と、私たちの調和を取り戻すため、回復させるため、語りかけ続け、働きかけ続け、招き続けてださいます。
すべてのいのちあるものは神さまが創られたすばらしいハーモニーの中で生かされています。私たちは神さまから与えられた限られたいのちの時をもっと素朴にのんびりと、ゆったりと、ゆっくりと穏やかに、和やかに、朗らかに生きるものであっていいと思うのです。限られたいのちの時を、空の星や、月や、鳥を眺めたり、美しい草花を眺めたり、大自然の中に身を置いたり、家族や友達とゆっくりと、ゆったりと、のんびりと過ごして生きるものであっていいと思うのです。
私たちは、神さまに全幅の信頼を置いて、感謝して、すべてをゆだねて、神さまとこの世界と、繋がり合う人との調和を大切にしながら、与えられた信仰と、希望と、愛の中で生かされていきましょう。